Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
中央線沿線まで繰り出すには「きっかけ」が必要だ。
するとManoaさんから「阿佐ヶ谷の互閃に行ってみませんか」とメールをいただく。
もちろん行きますとも!
仕事を終え、急いで総武線に乗り込み、阿佐ヶ谷駅へ向かう。
実は阿佐ヶ谷駅で降りるのははじめてのように思う。
(最近、初下車の駅がよく登場するな)

商店街を抜け、住宅街へ入ると、めざす「互閃」があらわれる。

カウンター10席しかない小さなお店だが、
清潔感にあふれ、実に上品な空気が漂っている。

Manoaさんによると、このあとの2軒目も想定しているので、
「酒肴コース」\3500をお願いしているとのことだ。

Manoaさんご夫妻と乾杯!
このプレミアムモルツ。
一口飲んじゃったから写真からはわからないけど、
うすはりグラスに店主が巧みに注ぎ、
ドイツビールの3度注ぎのようにモコモコ泡が上手にできていたのだ。

さてさて、この日は奥様も新しいデジカメを購入したそうで、持参されている。
料理が出るたび、お酒が出るたびに、
カウンターに並ぶ3人がそれぞれに写真を撮るものだから、いちいち大変だ。
完全に「写真同好会」と化している。
ただし、撮りたい被写体が違うのだ。
いつもは大体食べた順、飲んだ順に載せるのだが、
まずはコース料理からご紹介。
先付

生物

煮物

椀物

焼物


強肴盛り合わせ


Manoaさんと私は当然瓶マニアなので、
次々と瓶を写していく。
店主お気に入りの「七本槍」(滋賀)

東北泉(山形)

栗駒山(宮城)

白露垂珠(山形)
このところ飲む酒の東北率が異常に高い。
私が選んでいるのもあるが、
どの店でも被災地支援ということで東北のお酒を意識的に多く置いているせいもある。

ここで小休止。
七本槍 にごり酒(滋賀)

瓶マニアにとって、こういう1本がたまらない。
滅多にお目にかかれない「瓶」だからだ。

「七本槍」を造る富田酒造は滋賀県長浜市木之本町にある。
その長浜市にある長浜農業高校、略して「長農高」の生徒が育てた酒米で醸した酒なのだ。
ちなみに木之本町は賤ヶ岳の合戦で知られた場所で、
その合戦で活躍した七人の武将から「七本槍」と名付けられている。

〆は楯野川(山形)で。

これで七本「瓶」を納めたことになる。
さて、奥様は器がお好きで、我々が瓶に夢中になっているときには、
器に目が輝いている。
私も酒器は好きなので、酒器もバッチリ撮っておく。
酒ごとに店主自慢のコレクションからチョイスして出してくれる。







一見高そうなお店だが、
激戦区阿佐ヶ谷でやっていくだけに、
わりとリーズナブルなお店で、
また足を運びたくなるお店であった。
割烹 互閃
杉並区阿佐ヶ谷北1-13-10
03-3310-2778
中杉通りを渡り、商店街を抜けていく。
すると魅力的なラインナップの酒屋を発見☆
なかを外からのぞくと
屋守や鳳凰美田、篠峯など好きなお酒がたくさん並んでいるようだ。

今度、買いに来てみようかな。

少々道に迷いつつ、目的の「おおはま」に到着する。
杉玉がいいね♪

女性店主がひとりで切り盛りされているお店で、
カウンターしかない細長い店内は満席だ。

ほぉ~。
好みの銘柄が多いぞ。

お料理もどれも食べたくなるが、
コース料理でそれなりにお腹はふくれている。

お通し。

私は「寿喜心 壽 雄町」(愛媛)で。

Manoaさんは、「霞」(秋田)で乾杯!

おつまみは「おまかせちょっと盛り」にする。
ちょっとどころか結構盛りがいい。


トウモロコシの天ぷら、だ~いすき!

岩塩でいただく。

Manoaさんは眠そうだが、私はもう1杯追加。
相模灘(神奈川) これも雄町。

いまやすっかり雄町ブームなので、
ミーハーみたいでいやだが、好きなものは好きだからしょうがないじゃん。
楽しい阿佐ヶ谷ナイトであった。
旬の菜と旨い酒 おおはま
杉並区阿佐谷北1丁目44-14
03-5356-8914
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あ、あ、さが、や、に、まで来て、お声がかからなかったか。。
(たぶん、この前後は、高熱で寝込んでましたが。。)
06
15
23:22
ばるべにー
ペンペンさんは、阿佐ヶ谷住民だったのですね。
阿佐ヶ谷は古き良き商店街が残り、魅力的なお店が数多くありますね。
なかなか行けませんが、少しずつ開拓してみたいと思っています。
06
15
20:42
ペンペン
阿佐ヶ谷には結構長く住んでいました。
欅並木がとっても懐かしい。
でも勿論あの頃これらのお店は無かったはず。
今は美味しい日本酒とこれまた美味しい酒肴をいただけるお店が
至るところに増えているんでしょうね。
バブルの時代が日本酒で盛り上がっていたらもっとよかったのに、と思います。
06
15
06:18
ばるべにー
あれあれ。高熱とは。
もう治りましたか。
阿佐ヶ谷は親爺さんのホームグラウンドでしたね。。。
06
19
12:30