Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
この日は季節ごとに開かれるいつもの日本酒会に参加する。
よしっ!
せっかく遠征するのだから、この日もウォーキングで事前にカロリー消費だ!!!
ウォーキングは健康・減量が目的ではじめたが(あまり目的を達成できていないが・・・)、
それ以外の「効能」もたくさんあるから、飽きずに続いている。
その他の「効能」とは
①歴史探訪
②路線散策
③銭湯巡り
である。
つまり、ウォーキングをすることで私の趣味がすべて網羅できるのだ。
この日は、まず三軒茶屋に向かうので、下高井戸から東急世田谷線沿いをを歩いて行くことにした。
下高井戸駅からスタート。

線路沿いの道を進んでいく。

東急世田谷線は下高井戸と三軒茶屋を結ぶ路線距離5kmの軌道線だ。
いわゆる路面電車である。

ただ、都内に残るもうひとつの都電荒川線は併用軌道区間(車と一緒に走る区間)が随所にあり路面電車らしいが、
東急世田谷線は新設軌道(専用軌道)しかなく、路面電車らしさがない。
ライトレール(LRT)にも分類されるようだ。

最初の駅、「松原駅」。

東急世田谷線はいろんな色の車両が走っている。

「山下駅」
東急世田谷線を跨ぐ高架は小田急線だ。

駅の名前は違うが、「豪徳寺駅」と近接している。

ここから少し東急世田谷線沿いを離れ、駅名になっている「豪徳寺」に向かおう!
「Let's 豪徳寺」
読んだことないが、インパクトのあるタイトルをよく覚えていて、
豪徳寺と言えばこのマンガの印象が強い(笑)

大谿山(だいけいざん)豪徳寺(曹洞宗)。
井伊家の菩提寺として知られ、近江彦根藩二代藩主井伊直孝が伽藍を整備し創建した。
寺号は直孝の戒名(久昌院殿豪徳天英居士)からとっている。





豪徳寺は「招き猫」発祥の地とも言われる。

招き猫の起源には諸説あるようだが、
豪徳寺説は次のようなものらしい。

「招き猫」~Wikipedia
江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。
そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。
すると雷雨が降りはじめた。
雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、
豪徳寺は盛り返したという。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。
後世に境内に招猫堂が建てられ、
猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。
この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。
幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にある。
また、同じ豪徳寺説でも別の話もある。
直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、
一匹の三毛猫が手招きをしていた。
直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。
それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした…というものである。
これらの猫をモデルとしたもうひとつのキャラクターが、
井伊家と縁の深い彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。 ←筆者:「そうだったのぉ!」
前述のように、招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げているが、
豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、
小判を持っていない。
これは井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、
武士にとって左手は不浄の手のためである。
そして小判をもっていない理由は
「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、
機会を生かせるかは本人次第」という考え方から。


井伊家の墓所をお参りする。

まずは井伊家でもっとも知名度の高い大老井伊直弼のお墓から。

井伊直弼は、日米修好通商条約を無勅許で調印。
安政の大獄をおこなったことで知られ、
尊王攘夷派の浪士たちに桜田門外の変で暗殺された(1860年)。
どうもヒールの印象が強いが、
弱体化する徳川幕府を立て直すため、
開国・貿易という難局に強いリーダーシップで立ち向かった人物とも言える。
9月に井伊直弼や彦根藩士を描いた、
映画『柘榴坂の仇討』(出演:中井貴一、 阿部寛、広末涼子、中村吉右衛門)が公開されるね。
観に行かねば・・・

こちらは前述の二代藩主井伊直孝の墓。



豪徳寺はじめて来たが、お寺の広さが思っていた以上だったな。

次は豪徳寺のすぐおとなりにある世田谷城址公園へ。
そもそも豪徳寺は世田谷城のあとに建てられたものだ。

世田谷城は、14世紀末から15世紀初めにかけて吉良氏によって建てられたお城だ。
1590年豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となった。




世田谷区役所を折れ、松陰神社へ。

ここにはかつて長州藩の別邸があり、松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年、
高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓がこの地に改葬された。
その後1882年、ここに松蔭を祀る神社が建てられた。

26の寄進された灯籠が並ぶ。

伊藤博文(左上)、山縣有朋(右上)、
井上馨(左下)、桂太郎(右下)、
長州出身の元勲らの名が刻まれている。




境内には山口萩にある松下村塾を模した建物もある。



吉田松陰の墓所。

吉田松陰を処刑した井伊直弼の墓所と目と鼻の先というのがまた奇遇だ。


東急世田谷線沿いに戻る。
若林駅。

ここは環七を横切るので、ここだけ唯一併用軌道のような風景になる。
環七の信号が優先なので、世田谷線は若林駅を出発しても信号待ちすることがしばしばだ。

西太子堂駅。
もうすぐ終点だ。

三軒茶屋のキャロットタワーと東急世田谷線。

ゴール!!!
三軒茶屋駅は単線なのが驚く。

そして、お約束の銭湯


本日は「駒の湯」さん。

ひとっ風呂浴びても、まだ日本酒会までは時間があるなぁー
それならば、前回の時間調整と同じお店に行ってみるかっ。
「ラヂモリヤ」だ。

ビールに合わせるはずが、
会津坂下出身の大将にピントが合ってしまった(笑)

前回食べそびれたお刺身を盛り合わせで。
厚切りだ。

刺身醤油も紀州のお醤油。

こうなると猪口っと日本酒も飲みたくなる。
和歌山の雑賀。

こちらのお店カウンター席とテーブル席のほかに、
奥に立ち飲みエリアがあって、今回はそこで飲んだ。
混んでいたので大将とゆっくりお話しできなかったのは残念だったな。

準備万端だ。
日本酒会に向かおう!
ラヂモリヤ
世田谷区三軒茶屋1丁目32−6
03-6805-3554
毎回の如くお店は「ヒ・ミ・ツ」でごめんなさい。
この日も季節のお料理6品と夏酒6種を楽しむ。













ここからはコースとは別注。


焼き鮎の冷やしラーメン。
こちらの〆のラーメンもこの会に毎回足を運ぶ楽しみのひとつなのだ。

次回は11月だそうだ。
また来ちゃうな♪
そのときはどこを歩こうかな(笑)
よしっ!
せっかく遠征するのだから、この日もウォーキングで事前にカロリー消費だ!!!
ウォーキングは健康・減量が目的ではじめたが(あまり目的を達成できていないが・・・)、
それ以外の「効能」もたくさんあるから、飽きずに続いている。
その他の「効能」とは
①歴史探訪
②路線散策
③銭湯巡り
である。
つまり、ウォーキングをすることで私の趣味がすべて網羅できるのだ。
この日は、まず三軒茶屋に向かうので、下高井戸から東急世田谷線沿いをを歩いて行くことにした。
下高井戸駅からスタート。

線路沿いの道を進んでいく。

東急世田谷線は下高井戸と三軒茶屋を結ぶ路線距離5kmの軌道線だ。
いわゆる路面電車である。

ただ、都内に残るもうひとつの都電荒川線は併用軌道区間(車と一緒に走る区間)が随所にあり路面電車らしいが、
東急世田谷線は新設軌道(専用軌道)しかなく、路面電車らしさがない。
ライトレール(LRT)にも分類されるようだ。

最初の駅、「松原駅」。

東急世田谷線はいろんな色の車両が走っている。

「山下駅」
東急世田谷線を跨ぐ高架は小田急線だ。

駅の名前は違うが、「豪徳寺駅」と近接している。

ここから少し東急世田谷線沿いを離れ、駅名になっている「豪徳寺」に向かおう!
「Let's 豪徳寺」
読んだことないが、インパクトのあるタイトルをよく覚えていて、
豪徳寺と言えばこのマンガの印象が強い(笑)

大谿山(だいけいざん)豪徳寺(曹洞宗)。
井伊家の菩提寺として知られ、近江彦根藩二代藩主井伊直孝が伽藍を整備し創建した。
寺号は直孝の戒名(久昌院殿豪徳天英居士)からとっている。





豪徳寺は「招き猫」発祥の地とも言われる。

招き猫の起源には諸説あるようだが、
豪徳寺説は次のようなものらしい。

「招き猫」~Wikipedia
江戸時代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。
そのときこの寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため寺に立ち寄り休憩した。
すると雷雨が降りはじめた。
雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、
豪徳寺は盛り返したという。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔った。
後世に境内に招猫堂が建てられ、
猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになった。
この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。
幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にある。
また、同じ豪徳寺説でも別の話もある。
直孝が豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、
一匹の三毛猫が手招きをしていた。
直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。
それを避けられたことを感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄進をした…というものである。
これらの猫をモデルとしたもうひとつのキャラクターが、
井伊家と縁の深い彦根城の築城400年祭マスコット「ひこにゃん」である。 ←筆者:「そうだったのぉ!」
前述のように、招き猫は一般に右手若しくは左手を掲げているが、
豪徳寺の境内で販売されている招き猫は全部右手(右前足)を掲げ、
小判を持っていない。
これは井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、
武士にとって左手は不浄の手のためである。
そして小判をもっていない理由は
「招き猫は機会を与えてくれるが、結果(=この場合小判)までついてくるわけではなく、
機会を生かせるかは本人次第」という考え方から。


井伊家の墓所をお参りする。

まずは井伊家でもっとも知名度の高い大老井伊直弼のお墓から。

井伊直弼は、日米修好通商条約を無勅許で調印。
安政の大獄をおこなったことで知られ、
尊王攘夷派の浪士たちに桜田門外の変で暗殺された(1860年)。
どうもヒールの印象が強いが、
弱体化する徳川幕府を立て直すため、
開国・貿易という難局に強いリーダーシップで立ち向かった人物とも言える。
9月に井伊直弼や彦根藩士を描いた、
映画『柘榴坂の仇討』(出演:中井貴一、 阿部寛、広末涼子、中村吉右衛門)が公開されるね。
観に行かねば・・・

こちらは前述の二代藩主井伊直孝の墓。



豪徳寺はじめて来たが、お寺の広さが思っていた以上だったな。

次は豪徳寺のすぐおとなりにある世田谷城址公園へ。
そもそも豪徳寺は世田谷城のあとに建てられたものだ。

世田谷城は、14世紀末から15世紀初めにかけて吉良氏によって建てられたお城だ。
1590年豊臣秀吉の小田原征伐後に廃城となった。




世田谷区役所を折れ、松陰神社へ。

ここにはかつて長州藩の別邸があり、松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年、
高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓がこの地に改葬された。
その後1882年、ここに松蔭を祀る神社が建てられた。

26の寄進された灯籠が並ぶ。

伊藤博文(左上)、山縣有朋(右上)、
井上馨(左下)、桂太郎(右下)、
長州出身の元勲らの名が刻まれている。




境内には山口萩にある松下村塾を模した建物もある。



吉田松陰の墓所。

吉田松陰を処刑した井伊直弼の墓所と目と鼻の先というのがまた奇遇だ。


東急世田谷線沿いに戻る。
若林駅。

ここは環七を横切るので、ここだけ唯一併用軌道のような風景になる。
環七の信号が優先なので、世田谷線は若林駅を出発しても信号待ちすることがしばしばだ。

西太子堂駅。
もうすぐ終点だ。

三軒茶屋のキャロットタワーと東急世田谷線。

ゴール!!!
三軒茶屋駅は単線なのが驚く。

そして、お約束の銭湯



本日は「駒の湯」さん。

ひとっ風呂浴びても、まだ日本酒会までは時間があるなぁー
それならば、前回の時間調整と同じお店に行ってみるかっ。
「ラヂモリヤ」だ。

ビールに合わせるはずが、
会津坂下出身の大将にピントが合ってしまった(笑)

前回食べそびれたお刺身を盛り合わせで。
厚切りだ。

刺身醤油も紀州のお醤油。

こうなると猪口っと日本酒も飲みたくなる。
和歌山の雑賀。

こちらのお店カウンター席とテーブル席のほかに、
奥に立ち飲みエリアがあって、今回はそこで飲んだ。
混んでいたので大将とゆっくりお話しできなかったのは残念だったな。

準備万端だ。
日本酒会に向かおう!
ラヂモリヤ
世田谷区三軒茶屋1丁目32−6
03-6805-3554
毎回の如くお店は「ヒ・ミ・ツ」でごめんなさい。
この日も季節のお料理6品と夏酒6種を楽しむ。













ここからはコースとは別注。


焼き鮎の冷やしラーメン。
こちらの〆のラーメンもこの会に毎回足を運ぶ楽しみのひとつなのだ。

次回は11月だそうだ。
また来ちゃうな♪
そのときはどこを歩こうかな(笑)
- 関連記事
-
- 「七賢」で魚を食らう 【行辺@千歳船橋】
- 太子堂からシモキタへ 【もつ焼き久仁@西太子堂】
- Let's豪徳寺! ~東急世田谷線を歩く 【駒の湯&ラヂモリヤ@三軒茶屋】
- 三茶三角地帯の銭湯【千代の湯&ラヂモリヤ@三軒茶屋・・・そして日本酒会】
- 銭湯とビールで身を清めてから・・・ 【天狗湯&酒の高橋@世田谷】
シャレード
店名知らずですが、お酒は知るものもあり知らぬものもあり。
それより器がいいですね、ご主人の選択が凄いですよ。
明治初期の染付皿、有田の青白磁の三か所摘みの碗。
豆腐を台にしたに穴子を盛った碗は黒薩摩?かと思わせる出来。
塗りの八寸盆に据え置かれた小さなお向こう、器に対する造詣が見えます。
コバルトの優しいひねりの皿。
どれをとっても店主の感性を感じます、実に料理に則した盛り付けと器。
うすはりの杯や切り子の杯など・・・・うっとりしながら眺めました。
三茶にこれ程の店が有ったとは驚きです。
08
11
01:14
ばるべにー
私はシャレードさんの見識の方に驚きです。
いつも素敵な器だなぁと思ってましたが、
なにがどうとかわからないものですから・・・勉強になりました。
店主とのお約束でいつも店名を出せないんです。
ちなみにいわゆる三茶エリアのお店ではありません。
08
13
21:37