Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
この日は大学時代の気の置けない仲間5人で暑気払いだ。
新橋で17時にスタートだというので、私は昼過ぎに家を出て、
飲む分のカロリーをウォーキングで消費してから飲み会に臨もうと思う。
我ながら飽きずによく歩いているものだ(笑)
大江戸線赤羽橋駅で下車。
東京タワーが目の前だが、いまにも雨が降り出しそうな曇天模様なのが残念だ。

まずは芝公園にある丸山古墳の墳丘頂上部にのぼると、伊能忠敬測地遺功表がある。
これは伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であったからだ。

丸山古墳は都内最大級の前方後円墳だが、その原型はとどめていない。
発掘者坪井正五郎による標識の「瓢形大古墳」と刻まれた石がある。





つづいて増上寺へ。

増上寺は1393年の開山だが、徳川家康が関東地方を支配するようになった1590年に徳川家の菩提寺となり、
1593年に現在の芝に移転。
ここから増上寺は隆盛をきわめていく。

この日は徳川家の霊廟が公開される日であった。

2代秀忠とお江 上野樹里で大河ドラマになったからよく知られている夫婦だ。

6代家宣(いえのぶ)
だいぶマイナーだ。
家光の孫で綱吉時代とは異なる施策を次々と打ち出す(正徳の治)。

7代家継(いえつぐ)
4歳で将軍につき、8歳で風邪をこじらせ亡くなっている。
新井白石・間部詮房が政治を主導。

9代家重(いえしげ)
吉宗の長男。
言語不明瞭であったといわれる。
田沼意次を大名に取り立てた将軍でもある。

12代家慶(いえよし)
老中水野忠邦が天保の改革をおこなった。
ペリーが浦賀に来航したときの(1853年6月3日)将軍でもある。
来航後、まもなく亡くなっている(6月22日)。

14代家茂(いえもち)
大老井伊直弼らの指示によって将軍職に就いた紀州藩主徳川慶福。
第二次長州征討のさなか、20歳で亡くなる。

家茂に嫁いだ和宮(静寛院)

15代のなかで割と知名度の低い将軍が多いのかな。。。

増上寺をあとにして、浜松町駅方面へ。

有名な酒場「秋田屋」の前を通る。

浜松町駅

そしてすぐお隣の「旧芝離宮恩賜庭園」へ。

前は何度か通っているが庭園内に入るのははじめて。
庭園の由来は↓を参照。







竹芝を回り、今度は「浜離宮恩賜庭園」へ。
中の御門橋から中へ。

浜離宮恩賜庭園の歴史~東京都公園協会HPから抜粋
寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年4月有料公開されるに至りました。なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年12月には国の名勝及び史跡に、同27年11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。





6代家宣が大改修をおこなったときに植えられた松。

「三百年の松」とよばれる。


少し小雨が降り出してきた。
「旧新橋停車場」


資料館は無料で見学できる。
すばらしい!





そして、この日も銭湯へ。

銀座「久兵衛」のすぐそばにある「金春湯」だ。


小さな銭湯であったが、これから仕事という方達なのだろうか、かなり混んでいた。

銭湯に入る前にビックリしたのが、
この金春湯のそばにある「俺の割烹」と「俺のイタリアン」に開店前から大行列ができていたことだ。
まだ一度も入ったことがないが、
これが「俺の○○○」シリーズで有名な「俺の株式会社」の勢いなのかと妙に感心してしまった。
さてと、スッキリ、サッパリしたので、
気持ちよく暑気払いに向かうとしますかね。
金春湯
中央区銀座8丁目7−5 金春ビル 1F
03-3571-5469
新橋で17時にスタートだというので、私は昼過ぎに家を出て、
飲む分のカロリーをウォーキングで消費してから飲み会に臨もうと思う。
我ながら飽きずによく歩いているものだ(笑)
大江戸線赤羽橋駅で下車。
東京タワーが目の前だが、いまにも雨が降り出しそうな曇天模様なのが残念だ。

まずは芝公園にある丸山古墳の墳丘頂上部にのぼると、伊能忠敬測地遺功表がある。
これは伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であったからだ。

丸山古墳は都内最大級の前方後円墳だが、その原型はとどめていない。
発掘者坪井正五郎による標識の「瓢形大古墳」と刻まれた石がある。





つづいて増上寺へ。

増上寺は1393年の開山だが、徳川家康が関東地方を支配するようになった1590年に徳川家の菩提寺となり、
1593年に現在の芝に移転。
ここから増上寺は隆盛をきわめていく。

この日は徳川家の霊廟が公開される日であった。

2代秀忠とお江 上野樹里で大河ドラマになったからよく知られている夫婦だ。

6代家宣(いえのぶ)
だいぶマイナーだ。
家光の孫で綱吉時代とは異なる施策を次々と打ち出す(正徳の治)。

7代家継(いえつぐ)
4歳で将軍につき、8歳で風邪をこじらせ亡くなっている。
新井白石・間部詮房が政治を主導。

9代家重(いえしげ)
吉宗の長男。
言語不明瞭であったといわれる。
田沼意次を大名に取り立てた将軍でもある。

12代家慶(いえよし)
老中水野忠邦が天保の改革をおこなった。
ペリーが浦賀に来航したときの(1853年6月3日)将軍でもある。
来航後、まもなく亡くなっている(6月22日)。

14代家茂(いえもち)
大老井伊直弼らの指示によって将軍職に就いた紀州藩主徳川慶福。
第二次長州征討のさなか、20歳で亡くなる。

家茂に嫁いだ和宮(静寛院)

15代のなかで割と知名度の低い将軍が多いのかな。。。

増上寺をあとにして、浜松町駅方面へ。

有名な酒場「秋田屋」の前を通る。

浜松町駅

そしてすぐお隣の「旧芝離宮恩賜庭園」へ。

前は何度か通っているが庭園内に入るのははじめて。
庭園の由来は↓を参照。







竹芝を回り、今度は「浜離宮恩賜庭園」へ。
中の御門橋から中へ。

浜離宮恩賜庭園の歴史~東京都公園協会HPから抜粋
寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得ました。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められました。
以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など貴重な建造物が焼失したり樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ昭和21年4月有料公開されるに至りました。なお、国の文化財保護法に 基づき、昭和23年12月には国の名勝及び史跡に、同27年11月には周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。





6代家宣が大改修をおこなったときに植えられた松。

「三百年の松」とよばれる。


少し小雨が降り出してきた。
「旧新橋停車場」


資料館は無料で見学できる。
すばらしい!





そして、この日も銭湯へ。

銀座「久兵衛」のすぐそばにある「金春湯」だ。


小さな銭湯であったが、これから仕事という方達なのだろうか、かなり混んでいた。

銭湯に入る前にビックリしたのが、
この金春湯のそばにある「俺の割烹」と「俺のイタリアン」に開店前から大行列ができていたことだ。
まだ一度も入ったことがないが、
これが「俺の○○○」シリーズで有名な「俺の株式会社」の勢いなのかと妙に感心してしまった。
さてと、スッキリ、サッパリしたので、
気持ちよく暑気払いに向かうとしますかね。
金春湯
中央区銀座8丁目7−5 金春ビル 1F
03-3571-5469
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シャレード
銀座の銭湯金春湯、洗面器小脇にチョイト入り行きたくなりますね。
スバル座という小さな映画館もあった頃、この辺りは「銀座の雀」なる森繁が唄う歌が聞こえてきそう。
小ビルの屋上に物置のようなプレハブ小屋が、飲み過ぎて泊まって。
夜明けの銀座に漂う朝もやが素敵に思えました。
08
06
21:59
ばるべにー
古き良き銀座を思い起こさせるコメントありがとうございます!
銀座のど真ん中にあるまだこんな銭湯が健在なことが嬉しいですし、
番台のおばあちゃんも優しくて、あったかい銭湯でした。
08
10
23:21