Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
光が丘へお買い物に行く。
買い物につきあわされる長男と次男はブーブー言っている。
とりあえずは腹ごしらえして黙らせよう。。。
光が丘に向かう途中にあったおそば屋さんに入る。
「満留賀」だ。
「満留賀」という屋号のおそば屋さんはよく見かける。
職場のそばにもあって、
そこの「満留賀」は安い・美味い・ボリューム満点の三拍子が揃っているのだが、
こちらはどうだろうか・・・。

うどん、そばはもちろん、丼物、カレーライスや定食もある、
いわゆる街のお蕎麦屋さんメニューだ。

近くにテニスクラブがあるらしく、テニス帰りの常連さんたちが昼酒を楽しんでいた。


長男は「カレーライス」。

お蕎麦屋さんのカレーっておいしいよね。

私はかつ丼。
900円という値段からするとカツが少々残念。
かつ丼には手厳しいのだ。

かみさんは「あげもちうどん」。

次男は大ざる。

私もお蕎麦を食べたかったので、大盛りを命じたのだ。

こちらは駅から遠い住宅街にある商店街だ。
だから、こういうおそば屋さんは地元の人たちに重宝がられる存在だ。

おとなりの洋食屋さんも気になるところだな。

「満留賀」って屋号の由来が気になって調べたら、次のようなサイトを見つけたので転載する。
「幸町 満留賀」ホームページより
当のれんの創業者、加藤豊造氏は愛知県宝飯郡御津村より
明治26年上京、当時の下谷区佐竹通り「三河屋そば店」に
奉公に入り、7年間の修業を積んで明治33年3月当時の
芝区宇田川町に加藤の加に○をつけマル加 三河屋として
開店しました。
ところがその後、マル三 三河屋という屋号のそば屋が出来た為
紛らわしという事で、「まるか」だけにしようかと
当時の本願寺僧で後の文部大臣安藤正純先生に相談したところ
「満留賀」の三文字をいただき現在の屋号を
掲げることとなりました。その後のれん分けを続け
今では300店舗以上を数えるにいたっております。
まるかといえば、ペヤングの会社も「まるか食品」だが、
こちらは丸橋嘉蔵さんが創業したから「まるか」のようで
お蕎麦の満留賀とはなんの関係もなかったのだ。。。
満留賀
練馬区土支田1丁目6−23
03-3921-3533
買い物につきあわされる長男と次男はブーブー言っている。
とりあえずは腹ごしらえして黙らせよう。。。
光が丘に向かう途中にあったおそば屋さんに入る。
「満留賀」だ。
「満留賀」という屋号のおそば屋さんはよく見かける。
職場のそばにもあって、
そこの「満留賀」は安い・美味い・ボリューム満点の三拍子が揃っているのだが、
こちらはどうだろうか・・・。

うどん、そばはもちろん、丼物、カレーライスや定食もある、
いわゆる街のお蕎麦屋さんメニューだ。

近くにテニスクラブがあるらしく、テニス帰りの常連さんたちが昼酒を楽しんでいた。


長男は「カレーライス」。

お蕎麦屋さんのカレーっておいしいよね。

私はかつ丼。
900円という値段からするとカツが少々残念。
かつ丼には手厳しいのだ。

かみさんは「あげもちうどん」。

次男は大ざる。

私もお蕎麦を食べたかったので、大盛りを命じたのだ。

こちらは駅から遠い住宅街にある商店街だ。
だから、こういうおそば屋さんは地元の人たちに重宝がられる存在だ。

おとなりの洋食屋さんも気になるところだな。

「満留賀」って屋号の由来が気になって調べたら、次のようなサイトを見つけたので転載する。
「幸町 満留賀」ホームページより
当のれんの創業者、加藤豊造氏は愛知県宝飯郡御津村より
明治26年上京、当時の下谷区佐竹通り「三河屋そば店」に
奉公に入り、7年間の修業を積んで明治33年3月当時の
芝区宇田川町に加藤の加に○をつけマル加 三河屋として
開店しました。
ところがその後、マル三 三河屋という屋号のそば屋が出来た為
紛らわしという事で、「まるか」だけにしようかと
当時の本願寺僧で後の文部大臣安藤正純先生に相談したところ
「満留賀」の三文字をいただき現在の屋号を
掲げることとなりました。その後のれん分けを続け
今では300店舗以上を数えるにいたっております。
まるかといえば、ペヤングの会社も「まるか食品」だが、
こちらは丸橋嘉蔵さんが創業したから「まるか」のようで
お蕎麦の満留賀とはなんの関係もなかったのだ。。。
満留賀
練馬区土支田1丁目6−23
03-3921-3533
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