Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
今日は「照姫まつり」です。
今週の「日曜の戯れ言」はなんとその照姫まつりからアップします!



すごい人出ですよ~
まだ、なんも食べられてない。。。
やっとビール&焼き鳥!


「照姫伝説」をご紹介。
★照姫まつり公式サイトより抜粋・編集
室町時代の文明9年(1477年)、
当時の石神井城主・豊島泰経(豊島勘解由左衛門尉)は、
対立した江戸城主・太田道灌と、江古田・沼袋原で戦いこれに敗れました。
敗れた豊島泰経は、石神井城へと逃れましたが、
さらに太田勢に攻められ石神井城は落城し、平塚城(北区)へと逃げ延びました。
翌年、豊島泰経は、平塚城で再挙しましたが、
再び太田勢に平塚城も落とされ小机城(横浜市神奈川区)へと逃れましたが、
その後消息不明となり豊島氏は滅んだとされます。
歴史の記録には、豊島泰経の娘・照姫に関する記述はなく伝説上の人物とされます。
「照姫伝説」
道灌に攻められ最後を悟った石神井城主・豊島泰経は、
家宝「金の乗鞍」を置いた白馬にまたがり、城の背後の三宝寺池に身を沈めた。
泰経の娘、美しく聡明な照姫もまた父の死を悲しみ、後を追って三宝寺池に身を投げた。
道灌はこれを憐れみ、照姫の亡骸を弔って塚を築き、
この塚はいつしか「姫塚」と呼ばれ、
そのそばに立つ老松に登ると、池の底に泰経とともに沈んだ金の鞍が燦然と輝いているのが見える。
豊島泰経は石神井城落城の際に命を落としたわけではありませんので
照姫伝説はやはり「伝説」なのでしょうが、
こういう言い伝えが現代にも伝わり、
「照姫まつり」となって地域に愛され生き続けていることはとっても素敵なことだと思います。



今週の「日曜の戯れ言」はなんとその照姫まつりからアップします!



すごい人出ですよ~
まだ、なんも食べられてない。。。
やっとビール&焼き鳥!


「照姫伝説」をご紹介。
★照姫まつり公式サイトより抜粋・編集
室町時代の文明9年(1477年)、
当時の石神井城主・豊島泰経(豊島勘解由左衛門尉)は、
対立した江戸城主・太田道灌と、江古田・沼袋原で戦いこれに敗れました。
敗れた豊島泰経は、石神井城へと逃れましたが、
さらに太田勢に攻められ石神井城は落城し、平塚城(北区)へと逃げ延びました。
翌年、豊島泰経は、平塚城で再挙しましたが、
再び太田勢に平塚城も落とされ小机城(横浜市神奈川区)へと逃れましたが、
その後消息不明となり豊島氏は滅んだとされます。
歴史の記録には、豊島泰経の娘・照姫に関する記述はなく伝説上の人物とされます。
「照姫伝説」
道灌に攻められ最後を悟った石神井城主・豊島泰経は、
家宝「金の乗鞍」を置いた白馬にまたがり、城の背後の三宝寺池に身を沈めた。
泰経の娘、美しく聡明な照姫もまた父の死を悲しみ、後を追って三宝寺池に身を投げた。
道灌はこれを憐れみ、照姫の亡骸を弔って塚を築き、
この塚はいつしか「姫塚」と呼ばれ、
そのそばに立つ老松に登ると、池の底に泰経とともに沈んだ金の鞍が燦然と輝いているのが見える。
豊島泰経は石神井城落城の際に命を落としたわけではありませんので
照姫伝説はやはり「伝説」なのでしょうが、
こういう言い伝えが現代にも伝わり、
「照姫まつり」となって地域に愛され生き続けていることはとっても素敵なことだと思います。



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ばるべにー
こんなに石神井に人がいるのかってくらいの賑わいでした。
家からビールを持っていくのを忘れ、
不覚にもSDを飲むハメに。。。
でも、外で飲むと何でもおいしい!(笑)
04
28
08:40
しょうこ
さすが照姫祭り、すごい人ですねー。
今日は仕事で残念ながら祭りに行けませんでした。
でも写真でちょっと行った気になれました。
04
27
22:53
58酔い
今日は地元最大の祭りですね!!
石神井公園を見るとやはり落ち着きます。今日は帰れなかったので写真で祭りに参加した気分です。
いろいろ食べて飲んで楽しんで下さい!
04
27
13:10
ばるべにー
今年の照姫まつりは天気もよかったから、特に人出が多かったように思います。
お休みにお仕事でしたか。。。おつかれさまです。
少しでもお祭り気分が届けられたならよかったです☆
04
28
08:42