Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
ってなわけで、すぐに秩父を再訪。
この日はあいにくの小雨だが、
午前中から始動し、まずは旧吉田町(現秩父市)の「龍勢会館」へ向かう。
旧吉田町には「龍勢まつり」というとんでもない祭りがある。
27の流派が30本ほどの手作りロケットを次々と打ち上げるのだ。

▲秩父市HPより
秩父を舞台にしたアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
(このアニメの名前を僕はよく知らないが・・・)
とコラボしたポスターを西武線内でよく見かけ、このお祭りの存在を知った。

しかし、龍勢祭りは毎年10月の第二日曜日に開かれているので、
今年の龍勢祭りは終わってしまった。
そこで、龍勢祭りの展示がされている道の駅「龍勢会館」に立ち寄ってみたのだ。

会館に入ると、この日最初のお客さんだったようで、
まずは「龍勢祭り」のDVDを鑑賞するよう促される。
この映像見たら、本物を生で見たくなった。
来年の10月第二日曜日はいまから空けておかないとな。
龍勢祭りの展示も見どころ満載であったが、
ここを訪れた本当の目的は「秩父事件」の勉強のためだ。
秩父事件とは、1884年11月に埼玉県秩父で起きた約1万人の農民による蜂起である。
この事件の中心は在地の自由党員と秩父困民党であった。
1880年代前半は、いわゆる「松方財政」(大蔵卿松方正義の政策)の時代にあたり、
緊縮財政による深刻なデフレを引き起こしていた。
生糸価格が急落し、養蚕農家に大打撃を与えていた。
そこに軍備増強のための増税も重なり、
各地で自由党員と農民による激化事件が頻発していた。
(福島事件や群馬事件など)
秩父事件もこの流れのなかにある。
そして、秩父事件を起こした秩父困民党の井上伝蔵邸が復元され、
龍勢会館のとなりにあるのだ。
これは映画「草の乱」で使われたセットを移築したそうだ。

なかの見学もできる。
井上伝蔵は、丸井商店を営む商家で、東京に行き来する中で自由党に共鳴し入党した。
貧困にあえぐ農民の窮状を何度も役所に訴えるが、
高利貸しと結託した役人や裁判官は門前払いで訴えを聞こうとしない。
そこで追い込まれた秩父の農民らは田代栄助を
秩父困民党の総理として武装蜂起にいたるのだ。
井上伝蔵は会計長となり、秩父困民党の幹部メンバーであった。




事件当時30歳であった伝蔵は、事件鎮圧後の欠席裁判で死刑を言い渡される。
しかし、伝蔵は政府の追ってから逃れ、
事件後は吉田町の知人の蔵で2年間隠れた。
その後は北海道に渡り、以後は変名を用い、新たな家庭を築き生活をしていた。
死の間際、家族にはじめて自分が秩父事件に関わった井上伝蔵であることを明かすのだ。
そして、死の直前に家族で撮った写真がこれである。

龍勢会館をあとにし、椋神社へ足を伸ばす。
ここは11月1日に農民が集結した場所だ。
この椋神社の例大祭が「龍勢まつり」でもあり、
椋神社の向かい側にある山の中腹にある櫓からロケットが発射されるのだ。





椋神社をかたわらにひっそりと秩父事件に関する碑や像が建っている。




椋神社をはなれ、秩父市内へ。
秩父三社のひとつ「秩父神社」へ。
12月の例祭「秩父夜祭」の神社として知られているだろう。
神社の歴史は古く、崇神天皇の時代にまでさかのぼるが、
現在の社殿は家康の創建である。

左甚五郎の作ともいわれる彫刻が社殿の四方にはほどこされている。
「子宝 子育ての虎」

「お元気三猿」

「北辰の梟」

「つなぎの龍」


「イチローズモルト」で知られる秩父のウイスキー蒸留所だ。

秩父夜祭にも来てみたいが、冬の寒空に子ども連れでは厳しい。
夜祭の雰囲気だけでも味わおうと、神社の向かいにある「秩父まつり会館」を見学。
ここでも映像で祭りを楽しむ。


気付けば、お昼を回っている。
西武秩父駅からほど近い、「手打ちそば こいけ」にお邪魔する。

テーブル席に腰掛ける。

ご夫婦で仲睦まじくやってらっしゃる素朴な感じのお店だ。

私は天せいろ。


カミさんは変わりそばの「ゆず切り」をいただく。

カミさん、このゆず切りがすっかり気に入ってしまった様子だ。

ちょいとお値段が高いなぁとは思うが、せいろも変わりそばも美味しかった。

秩父はお蕎麦屋さんが多く、まだまだお蕎麦のおいしいお店がいっぱいあるようだ。
蕎麦屋巡りもこれからの秩父巡りの楽しみになりそうだね。
手打ちそば こいけ
秩父市野坂町2丁目14−34
0494-22-1610
この日はあいにくの小雨だが、
午前中から始動し、まずは旧吉田町(現秩父市)の「龍勢会館」へ向かう。
旧吉田町には「龍勢まつり」というとんでもない祭りがある。
27の流派が30本ほどの手作りロケットを次々と打ち上げるのだ。

▲秩父市HPより
秩父を舞台にしたアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」
(このアニメの名前を僕はよく知らないが・・・)
とコラボしたポスターを西武線内でよく見かけ、このお祭りの存在を知った。

しかし、龍勢祭りは毎年10月の第二日曜日に開かれているので、
今年の龍勢祭りは終わってしまった。
そこで、龍勢祭りの展示がされている道の駅「龍勢会館」に立ち寄ってみたのだ。

会館に入ると、この日最初のお客さんだったようで、
まずは「龍勢祭り」のDVDを鑑賞するよう促される。
この映像見たら、本物を生で見たくなった。
来年の10月第二日曜日はいまから空けておかないとな。
龍勢祭りの展示も見どころ満載であったが、
ここを訪れた本当の目的は「秩父事件」の勉強のためだ。
秩父事件とは、1884年11月に埼玉県秩父で起きた約1万人の農民による蜂起である。
この事件の中心は在地の自由党員と秩父困民党であった。
1880年代前半は、いわゆる「松方財政」(大蔵卿松方正義の政策)の時代にあたり、
緊縮財政による深刻なデフレを引き起こしていた。
生糸価格が急落し、養蚕農家に大打撃を与えていた。
そこに軍備増強のための増税も重なり、
各地で自由党員と農民による激化事件が頻発していた。
(福島事件や群馬事件など)
秩父事件もこの流れのなかにある。
そして、秩父事件を起こした秩父困民党の井上伝蔵邸が復元され、
龍勢会館のとなりにあるのだ。
これは映画「草の乱」で使われたセットを移築したそうだ。

なかの見学もできる。
井上伝蔵は、丸井商店を営む商家で、東京に行き来する中で自由党に共鳴し入党した。
貧困にあえぐ農民の窮状を何度も役所に訴えるが、
高利貸しと結託した役人や裁判官は門前払いで訴えを聞こうとしない。
そこで追い込まれた秩父の農民らは田代栄助を
秩父困民党の総理として武装蜂起にいたるのだ。
井上伝蔵は会計長となり、秩父困民党の幹部メンバーであった。




事件当時30歳であった伝蔵は、事件鎮圧後の欠席裁判で死刑を言い渡される。
しかし、伝蔵は政府の追ってから逃れ、
事件後は吉田町の知人の蔵で2年間隠れた。
その後は北海道に渡り、以後は変名を用い、新たな家庭を築き生活をしていた。
死の間際、家族にはじめて自分が秩父事件に関わった井上伝蔵であることを明かすのだ。
そして、死の直前に家族で撮った写真がこれである。

龍勢会館をあとにし、椋神社へ足を伸ばす。
ここは11月1日に農民が集結した場所だ。
この椋神社の例大祭が「龍勢まつり」でもあり、
椋神社の向かい側にある山の中腹にある櫓からロケットが発射されるのだ。





椋神社をかたわらにひっそりと秩父事件に関する碑や像が建っている。




椋神社をはなれ、秩父市内へ。
秩父三社のひとつ「秩父神社」へ。
12月の例祭「秩父夜祭」の神社として知られているだろう。
神社の歴史は古く、崇神天皇の時代にまでさかのぼるが、
現在の社殿は家康の創建である。

左甚五郎の作ともいわれる彫刻が社殿の四方にはほどこされている。
「子宝 子育ての虎」

「お元気三猿」

「北辰の梟」

「つなぎの龍」


「イチローズモルト」で知られる秩父のウイスキー蒸留所だ。

秩父夜祭にも来てみたいが、冬の寒空に子ども連れでは厳しい。
夜祭の雰囲気だけでも味わおうと、神社の向かいにある「秩父まつり会館」を見学。
ここでも映像で祭りを楽しむ。


気付けば、お昼を回っている。
西武秩父駅からほど近い、「手打ちそば こいけ」にお邪魔する。

テーブル席に腰掛ける。

ご夫婦で仲睦まじくやってらっしゃる素朴な感じのお店だ。

私は天せいろ。


カミさんは変わりそばの「ゆず切り」をいただく。

カミさん、このゆず切りがすっかり気に入ってしまった様子だ。

ちょいとお値段が高いなぁとは思うが、せいろも変わりそばも美味しかった。

秩父はお蕎麦屋さんが多く、まだまだお蕎麦のおいしいお店がいっぱいあるようだ。
蕎麦屋巡りもこれからの秩父巡りの楽しみになりそうだね。
手打ちそば こいけ
秩父市野坂町2丁目14−34
0494-22-1610
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