Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
前夜の深酒がたたり、ダメージがまだ残っている。
でも、こんなときこそ胃袋にしっかり入れないと快復しないのだ。
そこで、ゆうべ、けーさんが「おいしいですよ」とお薦めしてくれたお蕎麦屋さんに向かう。

途中、道に迷い、けーさんに電話して、どうにか「さんぺい」を発見することができた。

いまは土日と祝日しか開いていないそうだ。

コーヒーのサービスなんかもあるんだね。

こちらのお店では地元泉崎村産の蕎麦を使用していたのだが、
いまは北海道産の玄蕎麦を使用しているようだ。
こうせねばならない福島県内の現状は、やはりつらいものがある。

蕎麦は「もり」と「田舎」の2種類あるようだ。
どっちも食べたいし、天ぷらも食べたいので、
二枚天もりにして、合盛にしてもらう。

こっちがふつうの「もり」

天ぷらには抹茶塩が添えられているのが何とも嬉しい。
天ぷらをそばつゆにつけて食べるのは好きじゃない。

こちらが「田舎もり」
フェットチーネのような平打ち麺だ。

最後に蕎麦湯で胃袋を和らげる。
だいぶ快復できたぞぉ♪

海老2本が入った天ぷらに200gのお蕎麦が2枚。
これで1450円というのは、東京では考えられない値段だ。
ふつうの「もり」が抜群に美味いだけに、
「田舎」の方はちょっと残念だったかな。。。
週末しかやっていない稀少価値の高いお店。
大満足の十割そばであった。
家に帰ってから思い出したよ。
関和久まで行ったのだから、「関和久遺跡」に寄ってくればよかったよ。。。
関和久遺跡は、奈良時代から平安時代前半にかけて古代白河郡を治めていた
郡衙(郡司が政務をする役所)の跡なのだ。
つまり、9世紀前後は、この一帯の中心地がここ関和久だったというわけ。

(↑泉崎村HPから転載)
この時代にはまだ蕎麦の栽培は一般化していなかったので、
蕎麦が「調」として都に運ばれることはなかったろうなぁ。
手打ちそば処 さんぺい
西白河郡泉崎村大字関和久字豊田39-1
0248-53-3755
でも、こんなときこそ胃袋にしっかり入れないと快復しないのだ。
そこで、ゆうべ、けーさんが「おいしいですよ」とお薦めしてくれたお蕎麦屋さんに向かう。

途中、道に迷い、けーさんに電話して、どうにか「さんぺい」を発見することができた。

いまは土日と祝日しか開いていないそうだ。

コーヒーのサービスなんかもあるんだね。

こちらのお店では地元泉崎村産の蕎麦を使用していたのだが、
いまは北海道産の玄蕎麦を使用しているようだ。
こうせねばならない福島県内の現状は、やはりつらいものがある。

蕎麦は「もり」と「田舎」の2種類あるようだ。
どっちも食べたいし、天ぷらも食べたいので、
二枚天もりにして、合盛にしてもらう。

こっちがふつうの「もり」

天ぷらには抹茶塩が添えられているのが何とも嬉しい。
天ぷらをそばつゆにつけて食べるのは好きじゃない。

こちらが「田舎もり」
フェットチーネのような平打ち麺だ。

最後に蕎麦湯で胃袋を和らげる。
だいぶ快復できたぞぉ♪

海老2本が入った天ぷらに200gのお蕎麦が2枚。
これで1450円というのは、東京では考えられない値段だ。
ふつうの「もり」が抜群に美味いだけに、
「田舎」の方はちょっと残念だったかな。。。
週末しかやっていない稀少価値の高いお店。
大満足の十割そばであった。
家に帰ってから思い出したよ。
関和久まで行ったのだから、「関和久遺跡」に寄ってくればよかったよ。。。
関和久遺跡は、奈良時代から平安時代前半にかけて古代白河郡を治めていた
郡衙(郡司が政務をする役所)の跡なのだ。
つまり、9世紀前後は、この一帯の中心地がここ関和久だったというわけ。

(↑泉崎村HPから転載)
この時代にはまだ蕎麦の栽培は一般化していなかったので、
蕎麦が「調」として都に運ばれることはなかったろうなぁ。
手打ちそば処 さんぺい
西白河郡泉崎村大字関和久字豊田39-1
0248-53-3755
すーさん
やっぱり、そば粉の産地をね
こだわりの産地と放射能の関係と
食べ物やさんは、大変だ
さんぺい、さんいってみたい。
04
11
08:27
ばるべにー
地元の物を使いたいけど使えない・・・
本当に辛いと思います。
さんぺいさん、おいしかったですよ。
04
15
08:34