Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
11月の上旬だというのに暖かい日が続く。
比叡山の紅葉も見頃にはまだまだであった。
もう少し奥深いところにいけば、紅葉も進んでいるかなと、
子どもたちを幼稚園と学校に送り出し、
私とカミさんは、紅葉の名所として知られる
「三尾の名刹」
(高雄山神護寺・槇尾山西明寺・栂尾山高山寺)に行ってみることにした。
高雄・栂尾方面へ行くには車でしか行けない。
調べてみると京都駅からのJRバスで約50分とのことだ。
山科から京都へ出て、烏丸口のバスロータリーへ行くと、
高雄・栂尾方面のバス乗り場には元気な中高年が長蛇の列を作っている。
さすが、秋の京都。
臨時のバスが出ているほどの盛況ぶりで、
どうにかこうにかバスには乗れたのだが、当然満席。
結局1時間立ちっぱなしだったが、
車窓から市内の景色を楽しんでいたら1時間なんてあっという間だ。
終点栂尾まで行き、一番奥にある高山寺から攻めるか、
手前の高雄で降りて、神護寺から攻めるか、カミさんと思案したが、
帰りのバスのことを考え、手前の神護寺から行くことにした。

バス停から神護寺までこんなに歩くとは知らなかった。
汗ばむほど石段を登っていくと、やっとこさ神護寺が現れる。

神護寺は和気清麻呂が建てたお寺を由緒とする真言宗の寺院で、
和気清麻呂の御廟も神護寺にある。
和気清麻呂といえば……
奈良時代後期に道鏡が称徳女帝に取り入り
皇位につこうとした野望を阻止した人物として知られ、
平安初期には長岡京から平安京への遷都を進言したのも彼だ。
天皇家を守った忠臣として戦前は紙幣になったり、
気象庁前に銅像が建てられたりするほど、今より教科書に登場した偉人だったのだ。

教科書といえば……
神護寺所蔵のこの肖像画も必ずといっていいほど教科書に載っていたので有名であろう。

「この肖像画の人物は誰?」とたずねれば、
おそらくたいていの人が「源頼朝!」と即答するのではないだろうか。
しかし、90年代後半にこの人物は、源頼朝ではなく足利直義ではないかという新説が出され、
いまなおその論争は続いている。
無論、神護寺は従来の頼朝説の立場をとっているのだが、
私が好きな学者である黒田日出男は、冠や太刀を考証するとそれは頼朝の時代のものではなく、
南北朝期のものであると主張し、直義説を提唱しているのだ。
その結果、私たちには馴染みの深いこの肖像画は、
その人物が特定できず、いまでは教科書から姿を消してしまっているのだ。

神護寺の奥まで進むと、谷底に厄払いの瓦を投げるところがある。
面白そうだから私たち夫婦もやってみる。
(瓦といっても、すこし大きめの醤油皿みたいなもの)

運動音痴のカミさんの第一投。
ヒュッー
谷底へ飛んでいくはずの瓦が見えない。
おやっと思ったら、何と瓦が真横へ飛んでいる。
おいおい、危なくお隣にいた観光客にぶつけるところだったよ。
どうやったら真横に飛ぶんだよっ!(笑)
厄払いどころか、とんだ流血の惨事を引き起こしかねなかった神護寺をあとにし、
川沿いを歩いて西明寺へ。
神護寺、高山寺にくらべ知名度の低いこのお寺は
参拝客も両寺に比べると少なく、静かである。





こういう鄙びた小さなお寺が私は意外と好きだ。
西明寺から高山寺までも歩いて10分ほどで着く。
明恵上人(高弁)が開いた寺院である。

国宝となっている石水院に入り、そこからの眺めを楽しむ。
先日、報道ステーションがここから紅葉中継をしていたね。

高山寺の国宝といえば……
『鳥獣戯画』の方が有名であろう。
擬人化された兎や蛙がユーモラスに描かれた作品は誰しもがどこかで見たことあるはずだ。
絵巻物ではあるが、詞書はないので、最古の漫画とも言われる作品だ。

残念ながら原本は東京・京都の国立博物館に寄託されており、
ここでは模本しか見ることができない。
高山寺を実質的に開基した明恵は、宋からお茶をもたらした栄西から茶の種子を譲り受け、
栂尾で茶の栽培をはじめた。
鎌倉時代後期から南北朝時代に「闘茶」という遊びが出てくるが、
この遊びは栂尾産のお茶を「本茶」、それ以外は「異茶」として、
「本茶」を当てるゲームなのだ。
「きき酒」ならぬ「きき茶」のようなもんだ。

栂尾のお茶が宇治でも栽培されるようになり、いまや宇治茶が有名だが、
日本最古の茶園ではいまなおお茶が栽培されているのだ。


気がつけば、時計の針は13時を回っている。
夫婦揃って寺巡りが好きなものだから、
この私が飯も食べずに夢中になってしまったよ(笑)
高山寺の前にある「とが乃茶屋」でお昼をとることにする。

すぐ下を川が流れていて、景色のいい席だ。

まずはビールで水分補給。

カミさんは、にしんそば。

私は松茸ご飯膳。



熱燗も一本いただき、ほっこりする。
カミさんとの昼酒も珍しい。



帰りのバスは栂尾始発なので、ゆうゆう座れた。
やはり手前の神護寺から攻めたのは正解だったようだ。
子どもたちが帰宅するにはまだ時間があるので、
京都駅まで戻らず途中の仁和寺前のバス停でおりる。
仁和寺といえば……
『徒然草』に出てくる仁和寺の法師のお話を思い出してしまう。
仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、
或る時思い立ちて、ただひとりかちよりもうでけり。
極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さてかたへの人にあひて、
「年頃思いつることはたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけむ。
ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思いて、山までは見ず」とぞいひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。



仁和寺から10分ほど歩き妙心寺へ。
臨済宗妙心寺派の大本山だ。
山内には46の塔頭寺院が集まる大寺院だ。

麟祥院・大法院・退蔵院の3つが観られる拝観券を買う。
麟祥院を出て、お次は特別拝観の大法院へ。
お庭を眺める。

拝観券についているお茶のサービス。

もうずっと座っていたい。


最後は退蔵院へ。

退蔵院と言えば……
如拙の『瓢鮎図』を所蔵していることで有名だ。(京都国立博物館に寄託されている)

「捕まえにくいナマズをひょうたんでとることができるか」という公案を描いた作品だ。
私ならどうするかなぁ。
まずはひょうたんに入っているお酒を飲み干し、それからナマズのことを考えよう。
(ひょうたんにお酒が入っているかは知らないが)



今日一日でいったいどれだけの寺を回ったのだ。
子どもたちが一緒だとあり得ない寺・寺・寺のオンパレードであった。
寺・寺・寺・てら・Templeといえば……

まったくお寺とは関係ないんだけど「風船少女テンプルちゃん」を思い出すのだった。
比叡山の紅葉も見頃にはまだまだであった。
もう少し奥深いところにいけば、紅葉も進んでいるかなと、
子どもたちを幼稚園と学校に送り出し、
私とカミさんは、紅葉の名所として知られる
「三尾の名刹」
(高雄山神護寺・槇尾山西明寺・栂尾山高山寺)に行ってみることにした。
高雄・栂尾方面へ行くには車でしか行けない。
調べてみると京都駅からのJRバスで約50分とのことだ。
山科から京都へ出て、烏丸口のバスロータリーへ行くと、
高雄・栂尾方面のバス乗り場には元気な中高年が長蛇の列を作っている。
さすが、秋の京都。
臨時のバスが出ているほどの盛況ぶりで、
どうにかこうにかバスには乗れたのだが、当然満席。
結局1時間立ちっぱなしだったが、
車窓から市内の景色を楽しんでいたら1時間なんてあっという間だ。
終点栂尾まで行き、一番奥にある高山寺から攻めるか、
手前の高雄で降りて、神護寺から攻めるか、カミさんと思案したが、
帰りのバスのことを考え、手前の神護寺から行くことにした。

バス停から神護寺までこんなに歩くとは知らなかった。
汗ばむほど石段を登っていくと、やっとこさ神護寺が現れる。

神護寺は和気清麻呂が建てたお寺を由緒とする真言宗の寺院で、
和気清麻呂の御廟も神護寺にある。
和気清麻呂といえば……
奈良時代後期に道鏡が称徳女帝に取り入り
皇位につこうとした野望を阻止した人物として知られ、
平安初期には長岡京から平安京への遷都を進言したのも彼だ。
天皇家を守った忠臣として戦前は紙幣になったり、
気象庁前に銅像が建てられたりするほど、今より教科書に登場した偉人だったのだ。

教科書といえば……
神護寺所蔵のこの肖像画も必ずといっていいほど教科書に載っていたので有名であろう。

「この肖像画の人物は誰?」とたずねれば、
おそらくたいていの人が「源頼朝!」と即答するのではないだろうか。
しかし、90年代後半にこの人物は、源頼朝ではなく足利直義ではないかという新説が出され、
いまなおその論争は続いている。
無論、神護寺は従来の頼朝説の立場をとっているのだが、
私が好きな学者である黒田日出男は、冠や太刀を考証するとそれは頼朝の時代のものではなく、
南北朝期のものであると主張し、直義説を提唱しているのだ。
その結果、私たちには馴染みの深いこの肖像画は、
その人物が特定できず、いまでは教科書から姿を消してしまっているのだ。

神護寺の奥まで進むと、谷底に厄払いの瓦を投げるところがある。
面白そうだから私たち夫婦もやってみる。
(瓦といっても、すこし大きめの醤油皿みたいなもの)

運動音痴のカミさんの第一投。
ヒュッー
谷底へ飛んでいくはずの瓦が見えない。
おやっと思ったら、何と瓦が真横へ飛んでいる。
おいおい、危なくお隣にいた観光客にぶつけるところだったよ。
どうやったら真横に飛ぶんだよっ!(笑)
厄払いどころか、とんだ流血の惨事を引き起こしかねなかった神護寺をあとにし、
川沿いを歩いて西明寺へ。
神護寺、高山寺にくらべ知名度の低いこのお寺は
参拝客も両寺に比べると少なく、静かである。





こういう鄙びた小さなお寺が私は意外と好きだ。
西明寺から高山寺までも歩いて10分ほどで着く。
明恵上人(高弁)が開いた寺院である。

国宝となっている石水院に入り、そこからの眺めを楽しむ。
先日、報道ステーションがここから紅葉中継をしていたね。

高山寺の国宝といえば……
『鳥獣戯画』の方が有名であろう。
擬人化された兎や蛙がユーモラスに描かれた作品は誰しもがどこかで見たことあるはずだ。
絵巻物ではあるが、詞書はないので、最古の漫画とも言われる作品だ。

残念ながら原本は東京・京都の国立博物館に寄託されており、
ここでは模本しか見ることができない。
高山寺を実質的に開基した明恵は、宋からお茶をもたらした栄西から茶の種子を譲り受け、
栂尾で茶の栽培をはじめた。
鎌倉時代後期から南北朝時代に「闘茶」という遊びが出てくるが、
この遊びは栂尾産のお茶を「本茶」、それ以外は「異茶」として、
「本茶」を当てるゲームなのだ。
「きき酒」ならぬ「きき茶」のようなもんだ。

栂尾のお茶が宇治でも栽培されるようになり、いまや宇治茶が有名だが、
日本最古の茶園ではいまなおお茶が栽培されているのだ。


気がつけば、時計の針は13時を回っている。
夫婦揃って寺巡りが好きなものだから、
この私が飯も食べずに夢中になってしまったよ(笑)
高山寺の前にある「とが乃茶屋」でお昼をとることにする。

すぐ下を川が流れていて、景色のいい席だ。

まずはビールで水分補給。

カミさんは、にしんそば。

私は松茸ご飯膳。



熱燗も一本いただき、ほっこりする。
カミさんとの昼酒も珍しい。



帰りのバスは栂尾始発なので、ゆうゆう座れた。
やはり手前の神護寺から攻めたのは正解だったようだ。
子どもたちが帰宅するにはまだ時間があるので、
京都駅まで戻らず途中の仁和寺前のバス停でおりる。
仁和寺といえば……
『徒然草』に出てくる仁和寺の法師のお話を思い出してしまう。
仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、
或る時思い立ちて、ただひとりかちよりもうでけり。
極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さてかたへの人にあひて、
「年頃思いつることはたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。
そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけむ。
ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思いて、山までは見ず」とぞいひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。



仁和寺から10分ほど歩き妙心寺へ。
臨済宗妙心寺派の大本山だ。
山内には46の塔頭寺院が集まる大寺院だ。

麟祥院・大法院・退蔵院の3つが観られる拝観券を買う。
麟祥院を出て、お次は特別拝観の大法院へ。
お庭を眺める。

拝観券についているお茶のサービス。

もうずっと座っていたい。


最後は退蔵院へ。

退蔵院と言えば……
如拙の『瓢鮎図』を所蔵していることで有名だ。(京都国立博物館に寄託されている)

「捕まえにくいナマズをひょうたんでとることができるか」という公案を描いた作品だ。
私ならどうするかなぁ。
まずはひょうたんに入っているお酒を飲み干し、それからナマズのことを考えよう。
(ひょうたんにお酒が入っているかは知らないが)



今日一日でいったいどれだけの寺を回ったのだ。
子どもたちが一緒だとあり得ない寺・寺・寺のオンパレードであった。
寺・寺・寺・てら・Templeといえば……

まったくお寺とは関係ないんだけど「風船少女テンプルちゃん」を思い出すのだった。
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けー
今朝の「めざましテレビ」で妙心寺を中継してました!
紅葉の見頃でテレアナは「ずっと見ていたい」と言ってました。
ご夫婦で寺巡り&昼酒とは素敵なデートでしたね!!
11
30
08:06
ばるべにー
秋の京都は特別拝観も多く、見所満載でした。
ちょっとはカミさん孝行できましたかね☆
12
02
22:50