Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
この日は朝から
チャーハンが食べたい、
食べたい、食べたーーーーい
気分であった。
よし、これだけチャーハン気分なら、メガ盛りチャーハンも楽勝だろうと、
武蔵村山にある「忠豊」に初訪問だ。
なんでもここのチャーハンはすごいボリュームらしいのだ。
ところがこちらのお店調べてみると、どの駅からもアクセスが悪い。
とりあえず多摩モノレールの桜街道駅から歩いて行ってみることにした。
桜街道を西に歩き、村山団地の中を抜け、15分ほどでようやく村山すすらん通りへ。
団地界隈にあるそうな昔からの商店街のようだ。

この通りの裏路地に噂の忠豊はあるらしい。


あった! あった!
ほっとする。

チャーハンをオーダーすると決まっているのだが、
メニューを隈無くチェック。
チャーハンは630円とフツーだが、定食系はかなりの高価格設定なのに驚いた。

五目揚げ焼きそばに「大盛がありません」とあるが、
これは普通盛りでもとんでもない量だから「大盛」がないらしいのだ。
恐ろしい店だ。。。

チャーハンと餃子を頼み、店内を見回す。
ん???
壁という壁、さらには天井にまで、よく見知った顔が並んでいる。

長嶋、原、松井、高橋、阿部・・・

こりゃたまげた、筋金入りG党のお店であった。
チャーハンを食べる前から嬉しくなってしまう♪♪♪

そして、チャーハン(普通盛り)登場。
ついつい白河の菜華軒のチャーハンと比べてしまうのだが、
美しさは菜華軒の勝ちだが、ボリュームは忠豊の勝ちかも知れない。
写真ではそのサイズがいまいち伝わっていないのが残念。
横にマッチ棒でも置けばよかったかな(笑)

ついてきたスープの器もでかい!

餃子は1人前なのに10コ入りかよっ(530円)

全体としてこんな感じ。

焼豚も化学調味料もいっぱいのB級チャーハンの王道だ。
餃子も美味しく、意外とぺろっと食べきった。
スープがイマイチだったかな。。。
ここ武蔵村山市には「チャーハン三名山」と呼ばれるお店が存在するようだ。
「忠豊」もそのひとつである。
山登りは大嫌いだけど、チャーハンは大好きなので「三名山」を踏破するぞ!
村山団地ののどかな光景を眺めながら
帰りは少しでもカロリーを消費しようと、上北台駅まで歩いてみる。


団地と言えば、こんな本も最近出たね。
村山団地も取り上げていたはず。今度読んでみよっ☆
忠豊
武蔵村山市学園3丁目62−4
042-563-0333
チャーハンが食べたい、
食べたい、食べたーーーーい
気分であった。
よし、これだけチャーハン気分なら、メガ盛りチャーハンも楽勝だろうと、
武蔵村山にある「忠豊」に初訪問だ。
なんでもここのチャーハンはすごいボリュームらしいのだ。
ところがこちらのお店調べてみると、どの駅からもアクセスが悪い。
とりあえず多摩モノレールの桜街道駅から歩いて行ってみることにした。
桜街道を西に歩き、村山団地の中を抜け、15分ほどでようやく村山すすらん通りへ。
団地界隈にあるそうな昔からの商店街のようだ。

この通りの裏路地に噂の忠豊はあるらしい。


あった! あった!
ほっとする。

チャーハンをオーダーすると決まっているのだが、
メニューを隈無くチェック。
チャーハンは630円とフツーだが、定食系はかなりの高価格設定なのに驚いた。

五目揚げ焼きそばに「大盛がありません」とあるが、
これは普通盛りでもとんでもない量だから「大盛」がないらしいのだ。
恐ろしい店だ。。。

チャーハンと餃子を頼み、店内を見回す。
ん???
壁という壁、さらには天井にまで、よく見知った顔が並んでいる。

長嶋、原、松井、高橋、阿部・・・

こりゃたまげた、筋金入りG党のお店であった。
チャーハンを食べる前から嬉しくなってしまう♪♪♪

そして、チャーハン(普通盛り)登場。
ついつい白河の菜華軒のチャーハンと比べてしまうのだが、
美しさは菜華軒の勝ちだが、ボリュームは忠豊の勝ちかも知れない。
写真ではそのサイズがいまいち伝わっていないのが残念。
横にマッチ棒でも置けばよかったかな(笑)

ついてきたスープの器もでかい!

餃子は1人前なのに10コ入りかよっ(530円)

全体としてこんな感じ。

焼豚も化学調味料もいっぱいのB級チャーハンの王道だ。
餃子も美味しく、意外とぺろっと食べきった。
スープがイマイチだったかな。。。
ここ武蔵村山市には「チャーハン三名山」と呼ばれるお店が存在するようだ。
「忠豊」もそのひとつである。
山登りは大嫌いだけど、チャーハンは大好きなので「三名山」を踏破するぞ!
村山団地ののどかな光景を眺めながら
帰りは少しでもカロリーを消費しようと、上北台駅まで歩いてみる。


団地と言えば、こんな本も最近出たね。
村山団地も取り上げていたはず。今度読んでみよっ☆
![]() | 団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195) (2012/09/26) 原 武史 商品詳細を見る |
忠豊
武蔵村山市学園3丁目62−4
042-563-0333
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私が上石神井に帰り着く時間と長男の塾が終わる時間がほぼ同じなので、
カミさんの迎えが1回で済むように、
塾がある日はなるべく時間調整をうまくして上石神井駅前で待ち合わせるようにしている。
しかし、この日はカミさんの迎えが1時間ほど遅れそうで、
カミさんは「ご飯食べて待ってて☆」というではないか。
上石神井駅で長男を迎え、「どこに行く?」と聞いたが、
どこでもいいようだ。
小学生の息子とふたりで居酒屋というのもいかがなものかと思うので、
飲めて食べられる「日高屋」にする。
安いしね。

私はおつまみ三種盛りと空豆でビール!


300店舗達成記念の300円価格はまだ続いている。

息子は、醤油のシンプルラーメンが好きなので、中華そばの餃子セットを注文。
餃子は私のおつまみにもなる。


さらに、おつまみ唐揚げも。
こっちは息子の好物だ。

2人用のテーブルはお皿でいっぱいだ。

なかなか家では長男とだけじっくり話すということはできない。
これはいい機会だと、塾での様子や普段の生活についてあれこれ聞いてみる。
すると、やはり長男なりの悩みや話したいことが次々に口から出てくるではないか。
どれも別に重たい内容ではなく子どもらしいものでホッとはしたが、
こうやって向き合って話すことの大切さをあらためて知ったのだ。
父親としてじっくり息子の話しを聞くためには生ビール1杯では足りないな(笑)
「ハイボール!」

冷奴と枝豆も追加・・・


日高屋での親子面談。
実に有意義だったなぁ~
あと10年もすれば、息子とも盃を酌み交わせるようになる。
待ち遠しい。

1時間してカミさんが到着。
長男がカミさんに
「日高屋のラーメンはボクにはイマイチだったよ。ラーメン以外がおいしかった♪」
とバッサリ。。。
あんまり味に執着のない長男だと思ったが、ちゃんと味わってるんだ。
こりゃ、10年後に飲むときには日高屋というわけにはいかなそうだ(笑)
熱烈中華食堂 日高屋 上石神井南口店
練馬区上石神井1-14-1
03-3594-7531
カミさんの迎えが1回で済むように、
塾がある日はなるべく時間調整をうまくして上石神井駅前で待ち合わせるようにしている。
しかし、この日はカミさんの迎えが1時間ほど遅れそうで、
カミさんは「ご飯食べて待ってて☆」というではないか。
上石神井駅で長男を迎え、「どこに行く?」と聞いたが、
どこでもいいようだ。
小学生の息子とふたりで居酒屋というのもいかがなものかと思うので、
飲めて食べられる「日高屋」にする。
安いしね。

私はおつまみ三種盛りと空豆でビール!


300店舗達成記念の300円価格はまだ続いている。

息子は、醤油のシンプルラーメンが好きなので、中華そばの餃子セットを注文。
餃子は私のおつまみにもなる。


さらに、おつまみ唐揚げも。
こっちは息子の好物だ。

2人用のテーブルはお皿でいっぱいだ。

なかなか家では長男とだけじっくり話すということはできない。
これはいい機会だと、塾での様子や普段の生活についてあれこれ聞いてみる。
すると、やはり長男なりの悩みや話したいことが次々に口から出てくるではないか。
どれも別に重たい内容ではなく子どもらしいものでホッとはしたが、
こうやって向き合って話すことの大切さをあらためて知ったのだ。
父親としてじっくり息子の話しを聞くためには生ビール1杯では足りないな(笑)
「ハイボール!」

冷奴と枝豆も追加・・・


日高屋での親子面談。
実に有意義だったなぁ~
あと10年もすれば、息子とも盃を酌み交わせるようになる。
待ち遠しい。

1時間してカミさんが到着。
長男がカミさんに
「日高屋のラーメンはボクにはイマイチだったよ。ラーメン以外がおいしかった♪」
とバッサリ。。。
あんまり味に執着のない長男だと思ったが、ちゃんと味わってるんだ。
こりゃ、10年後に飲むときには日高屋というわけにはいかなそうだ(笑)
熱烈中華食堂 日高屋 上石神井南口店
練馬区上石神井1-14-1
03-3594-7531
この日は、家族が不在で「夕飯を済ませて来て」と言われた。
とくにどこに行こうか思いつかず、
自宅に帰ってから石神井にでも出ようかなと考え、とりあえず上石神井からバスに乗車。
そして、しばらくしての車内アナウンス。
「・・・酒とつまみと二八蕎麦 そば匠やぶいず前です」
とっさに「降ります」ボタンを押し、上石神井北小学校で下車。
「そば匠やぶいず」は、蕎麦もさることながら、
酒とつまみが充実していて、そんじょそこらの居酒屋より味もコスパも断然いいのだ。

鴨つくねと茄子の揚げ浸しをつまみに「上喜元」(山形)のお燗をいただく。



そして、「かき南蛮」で〆る。

広島県安芸津産の大ぶりの牡蠣だ。
とっても濃厚~~、海の味だ。

そば匠やぶいず
練馬区石神井台5-1-36
03-3929-0730
そして、また別の日。
今度は家族で「やぶいず」へ・・・
↓↓↓
とくにどこに行こうか思いつかず、
自宅に帰ってから石神井にでも出ようかなと考え、とりあえず上石神井からバスに乗車。
そして、しばらくしての車内アナウンス。
「・・・酒とつまみと二八蕎麦 そば匠やぶいず前です」
とっさに「降ります」ボタンを押し、上石神井北小学校で下車。
「そば匠やぶいず」は、蕎麦もさることながら、
酒とつまみが充実していて、そんじょそこらの居酒屋より味もコスパも断然いいのだ。

鴨つくねと茄子の揚げ浸しをつまみに「上喜元」(山形)のお燗をいただく。



そして、「かき南蛮」で〆る。

広島県安芸津産の大ぶりの牡蠣だ。
とっても濃厚~~、海の味だ。

そば匠やぶいず
練馬区石神井台5-1-36
03-3929-0730
そして、また別の日。
今度は家族で「やぶいず」へ・・・
↓↓↓
10月下旬の次男の誕生日。
リニューアルオープンしたばかりの「砦」に行く。
じゃ、なかった・・・「くつろぎ処とりで」に行く。

お店はきれいになり、以前の鉄板焼きはメニューから消えた。
うなぎは健在だ。
お店に「祝新装開店」のお花が飾られ、すでに私たちも含めて予約で満席のようだ。
Manoaさんはおそらく私たちより早い日に訪ねていたようだったが、
開店直後にありがちなオペレーションの悪さに少々おかんむりのご様子であった。。。
そして、この日もお店はてんてこ舞い。
瓶ビール頼んだときに「サッポロとキリンどちらにしますか?」と聞かれたので
「サッポロで」と伝えたのに、やってきたのは「キリン」(笑)
ラガーだったから黙って飲む。
一番搾りだったら、替えてもらったかも・・・


あらかじめ頼んでおいたお刺身盛り合わせと追加したたこと平目。



揚げ物好きの私がチーズ揚げと唐揚げは欠かせない。


茄子の揚げ浸し

カキ酢

焼き鳥 塩とタレ、どっちも♪


子ども達はおにぎりと茶碗蒸しで〆る。


最後にようやく出汁巻き玉子がやってくる。

開店当初はいたしかたないやね。。。
今度はゆっくりくつろげる頃に来たいものだ。
我が家に帰ってバースデーケーキ☆
今年のバースデーケーキは、長女が「Abloom」、長男が「おだふじ」だった。
ラストの次男は「ノア」だ。
狙った訳じゃなかったんだけど、
石神井界隈のケーキを制覇した感じだ。
三冠王だね!

そして、一番ケーキを食べたのが私だったのだ。
くつろぎ処とりで
練馬区石神井町3-26-3
03-3995-9378
おかしの家ノア
練馬区下石神井6-40-3
03-3995-7273
リニューアルオープンしたばかりの「砦」に行く。
じゃ、なかった・・・「くつろぎ処とりで」に行く。

お店はきれいになり、以前の鉄板焼きはメニューから消えた。
うなぎは健在だ。
お店に「祝新装開店」のお花が飾られ、すでに私たちも含めて予約で満席のようだ。
Manoaさんはおそらく私たちより早い日に訪ねていたようだったが、
開店直後にありがちなオペレーションの悪さに少々おかんむりのご様子であった。。。
そして、この日もお店はてんてこ舞い。
瓶ビール頼んだときに「サッポロとキリンどちらにしますか?」と聞かれたので
「サッポロで」と伝えたのに、やってきたのは「キリン」(笑)
ラガーだったから黙って飲む。
一番搾りだったら、替えてもらったかも・・・


あらかじめ頼んでおいたお刺身盛り合わせと追加したたこと平目。



揚げ物好きの私がチーズ揚げと唐揚げは欠かせない。


茄子の揚げ浸し

カキ酢

焼き鳥 塩とタレ、どっちも♪


子ども達はおにぎりと茶碗蒸しで〆る。


最後にようやく出汁巻き玉子がやってくる。

開店当初はいたしかたないやね。。。
今度はゆっくりくつろげる頃に来たいものだ。
我が家に帰ってバースデーケーキ☆
今年のバースデーケーキは、長女が「Abloom」、長男が「おだふじ」だった。
ラストの次男は「ノア」だ。
狙った訳じゃなかったんだけど、
石神井界隈のケーキを制覇した感じだ。
三冠王だね!

そして、一番ケーキを食べたのが私だったのだ。
くつろぎ処とりで
練馬区石神井町3-26-3
03-3995-9378
おかしの家ノア
練馬区下石神井6-40-3
03-3995-7273
伊那から高遠まではそう遠くない。
15分ほど走らせると高遠藩の城下町に到着だ。
◆高遠藩(コトバンクより引用)
江戸時代、信濃国伊那郡高遠(現、長野県伊那市高遠町)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。
藩校は進徳館。
当地は、戦国時代に諏訪氏の一族高遠氏が治めていたが、武田信玄に滅ぼされた。
その武田氏も1582年(天正12)に織田信忠に攻められて落城。
1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いを経て2万5000石で保科正光が入り、高遠藩が成立した。
1615年(元和1)に5000石加増。
3代将軍徳川家光の弟で保科正光の養子となった保科正之は1636年(寛永13)、
20万石に加増され出羽国山形藩に移封となった。
入れ替わりで山形から鳥居忠春が3万200石で入ったが、
鳥居氏は2代で89年(元禄2)に改易され、高遠藩は廃藩となった。
天領となったあと、1691年に摂津国富田林藩から内藤清枚が3万3000石で入り、
以後明治維新まで内藤氏8代が続いた。
2代藩主頼卿の1714年(正徳))に、江戸城大奥女中の絵島が当地に配流されている(絵島事件)。
1871年(明治4)の廃藩置県で高遠県となり、その後筑摩県を経て76年長野県に編入された。
そんな高遠藩の歴史を勉強しようと、
高遠城址公園にある歴史博物館にまずは向かったが、休館日。

博物館の前にはこんな幟が立っていた。

そして、保科正之とその生母お静の石像が並び立っていた。

保科正之は2代将軍徳川秀忠の四男である。
ということは3代将軍家光の異母弟になる。
しかし、正之(幼名幸松)は正室の知らぬ庶子であったため、
武田信玄の次女である見性院に預けられ、そこで生まれた幸松はそのまま見性院に養育された。
このことははわずかな秀忠側近しか知らないことであった。
その後1617年に、見性院の縁で旧武田氏家臣の信濃高遠藩主の保科正光が預かり、
正光の子として養育される。
正光にはすでに養子として左源太という男子がいたが、
正光は正之を後継者に指名し、1631年に正之が高遠藩2代目藩主となる。
その後、正之は1636年に出羽山形藩20万石を拝領し、
さらには1643年に陸奥会津藩23万石をの大名となるのである。
正之の長兄である家光が正之の存在を知ったのは、お忍びで目黒のお寺に参詣した折のようで、
以後家光は正之をことのほか大事にしたそうだ。
家光は臨終の枕頭に正之を呼び寄せ、「肥後よ宗家を頼みおく」と言い残したという。
これに感銘した正之は『会津家訓十五箇条』を定めた。
第一条
会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、
藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」
藩主・藩士はこれを忠実に守った。
しかし、この『家訓』こそが幕末の会津藩の悲劇につながるとは
正之は思ってもみなかったことであろう。



高遠城址公園周辺を散策する。






高遠の町に戻ると、城下町らしい古いお店が並ぶ。
そのなかに酒蔵を発見!

「黒松仙醸」の蔵だ。

見学したかったが、閉まっている。
今日はどこもかしこもお休みにぶつかるようだ(笑)

高遠といえば、高遠そば。
保科正之が高遠のそばを会津にも広めたので、
会津でも大内宿の三澤屋のように高遠そばは有名である。
高遠で本場の高遠そばを食べようかと思ったのだが、
「おそばなら伊那にある『こやぶ』がおいしいですよ」と
例のレンタカーお兄さんの情報もあり、
伊那市街に戻ってご推薦の「こやぶ」へ向かう。

一見、カレー丼の上にグリンピースがのって出てくるような
よくあるフツーのおそば屋さんのようだが・・・・・・

店に入ると立派な蕎麦打ちコーナーがある。

メニューにはそばしかない。
カレー丼も天丼もない。
これは期待できるかも♪

もりそばを注文し、しばし待つ。

そして、もりそばが2段重ねで登場。

太めの田舎蕎麦だが、コシが強く、香りもいい。

薬味に添えられた蕎麦味噌が美味い。

そば湯も濃厚であったまる。

ソースカツ丼にもりそば食べて、私のおなかも↓こんな感じだ(笑)

レンタカーを返しに行き、お兄さんにお礼を言う。
「『青い塔』はお休みだったので『飯島』でソースカツ丼を食べて、
『こやぶ』でも蕎麦食べましたよ。どっちも美味しかったです!」
お兄さんも嬉しそうな顔をしていたが、
「ソースカツ丼食べたのに、蕎麦まで食べたんですかぁ!」という
ややあきれた目をしていた(笑)
すっかり満腹の私は帰りの飯田線と中央線はずーっと爆睡だったのだ。。。
そば処 こやぶ
長野県伊那市中央区中央通り4498-6
0265-72-0333
そうそう、「更科そば」の「科」って保科正之の「科」らしい。
そんな話題はまたいずれ・・・。
15分ほど走らせると高遠藩の城下町に到着だ。
◆高遠藩(コトバンクより引用)
江戸時代、信濃国伊那郡高遠(現、長野県伊那市高遠町)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。
藩校は進徳館。
当地は、戦国時代に諏訪氏の一族高遠氏が治めていたが、武田信玄に滅ぼされた。
その武田氏も1582年(天正12)に織田信忠に攻められて落城。
1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いを経て2万5000石で保科正光が入り、高遠藩が成立した。
1615年(元和1)に5000石加増。
3代将軍徳川家光の弟で保科正光の養子となった保科正之は1636年(寛永13)、
20万石に加増され出羽国山形藩に移封となった。
入れ替わりで山形から鳥居忠春が3万200石で入ったが、
鳥居氏は2代で89年(元禄2)に改易され、高遠藩は廃藩となった。
天領となったあと、1691年に摂津国富田林藩から内藤清枚が3万3000石で入り、
以後明治維新まで内藤氏8代が続いた。
2代藩主頼卿の1714年(正徳))に、江戸城大奥女中の絵島が当地に配流されている(絵島事件)。
1871年(明治4)の廃藩置県で高遠県となり、その後筑摩県を経て76年長野県に編入された。
そんな高遠藩の歴史を勉強しようと、
高遠城址公園にある歴史博物館にまずは向かったが、休館日。

博物館の前にはこんな幟が立っていた。

そして、保科正之とその生母お静の石像が並び立っていた。

保科正之は2代将軍徳川秀忠の四男である。
ということは3代将軍家光の異母弟になる。
しかし、正之(幼名幸松)は正室の知らぬ庶子であったため、
武田信玄の次女である見性院に預けられ、そこで生まれた幸松はそのまま見性院に養育された。
このことははわずかな秀忠側近しか知らないことであった。
その後1617年に、見性院の縁で旧武田氏家臣の信濃高遠藩主の保科正光が預かり、
正光の子として養育される。
正光にはすでに養子として左源太という男子がいたが、
正光は正之を後継者に指名し、1631年に正之が高遠藩2代目藩主となる。
その後、正之は1636年に出羽山形藩20万石を拝領し、
さらには1643年に陸奥会津藩23万石をの大名となるのである。
正之の長兄である家光が正之の存在を知ったのは、お忍びで目黒のお寺に参詣した折のようで、
以後家光は正之をことのほか大事にしたそうだ。
家光は臨終の枕頭に正之を呼び寄せ、「肥後よ宗家を頼みおく」と言い残したという。
これに感銘した正之は『会津家訓十五箇条』を定めた。
第一条
会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、
藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」
藩主・藩士はこれを忠実に守った。
しかし、この『家訓』こそが幕末の会津藩の悲劇につながるとは
正之は思ってもみなかったことであろう。



高遠城址公園周辺を散策する。






高遠の町に戻ると、城下町らしい古いお店が並ぶ。
そのなかに酒蔵を発見!

「黒松仙醸」の蔵だ。

見学したかったが、閉まっている。
今日はどこもかしこもお休みにぶつかるようだ(笑)

高遠といえば、高遠そば。
保科正之が高遠のそばを会津にも広めたので、
会津でも大内宿の三澤屋のように高遠そばは有名である。
高遠で本場の高遠そばを食べようかと思ったのだが、
「おそばなら伊那にある『こやぶ』がおいしいですよ」と
例のレンタカーお兄さんの情報もあり、
伊那市街に戻ってご推薦の「こやぶ」へ向かう。

一見、カレー丼の上にグリンピースがのって出てくるような
よくあるフツーのおそば屋さんのようだが・・・・・・

店に入ると立派な蕎麦打ちコーナーがある。

メニューにはそばしかない。
カレー丼も天丼もない。
これは期待できるかも♪

もりそばを注文し、しばし待つ。

そして、もりそばが2段重ねで登場。

太めの田舎蕎麦だが、コシが強く、香りもいい。

薬味に添えられた蕎麦味噌が美味い。

そば湯も濃厚であったまる。

ソースカツ丼にもりそば食べて、私のおなかも↓こんな感じだ(笑)

レンタカーを返しに行き、お兄さんにお礼を言う。
「『青い塔』はお休みだったので『飯島』でソースカツ丼を食べて、
『こやぶ』でも蕎麦食べましたよ。どっちも美味しかったです!」
お兄さんも嬉しそうな顔をしていたが、
「ソースカツ丼食べたのに、蕎麦まで食べたんですかぁ!」という
ややあきれた目をしていた(笑)
すっかり満腹の私は帰りの飯田線と中央線はずーっと爆睡だったのだ。。。
そば処 こやぶ
長野県伊那市中央区中央通り4498-6
0265-72-0333
そうそう、「更科そば」の「科」って保科正之の「科」らしい。
そんな話題はまたいずれ・・・。
とある初秋の休日。
電車を乗り継ぎ伊那をめざす。
新宿駅7時発のスーパーあずさ1号に「あずさ2号♪」を口ずさみながら乗り、
上諏訪駅で下車。
飯田線直通の豊橋行きに乗りかえる。
飯田線に乗るのははじめてなので、“鉄ちゃん”な私としてはウキウキしてしまう。
正確には、上諏訪~辰野間はJR東日本の中央本線で、
辰野~豊橋間が飯田線であり、JR東海の路線になるのだ。

辰野で乗務員が変わるのは会社が変わるのだからわかるのだが、
伊那松島駅でも乗務員が変わっていたのには驚いた。
さらにこの豊橋行きがビックリなのは、
上諏訪を9時19分に出発して、終点豊橋につくのが16時16分。
なんと7時間も運行しているのだ。
この間、運転士はさらに何回か変わるのだろうか、
とかあれこれ考えていたら、伊那市駅に10時30分に到着。
ここでレンタカーを借りる。

伊那生まれ伊那育ちだというレンタカー会社の若いおにいさんから
ご当地グルメ情報を仕入れ、まずは所用をすませる。
そして、気付けばもう時計の針は12時を回っている。
昼ご飯にしよう。
伊那といえば、ローメンとソースカツ丼が有名なのだ。
入手した情報をたよりに、伊那IC近くの「青い塔」にいく。

青い屋根の建物は以前のお店らしく、そのうしろに新しい新店舗ができている。

新しいお店は青くないようだ。

ところが、まさかの定休日。
がっくし。。。
ソースカツ丼情報は青い塔しか得ていなかったので、
あわてて私が長年愛用するガラケーでお店を検索し、伊那市駅方面に戻り、
「中華料理 飯島」に入る。

メニューを開くと中華料理のお店らしいメニューが並ぶが、
メニューの筆頭にちゃんと「カツ丼」の文字がある。
ソースカツ丼と書かなくても、伊那ではカツ丼といえば、ソースカツ丼なのだろうと理解し、
若干の不安も感じながら「カツ丼お願いします!」と注文。
そして、間違いなく「ソースカツ丼」が登場。
フタからはみだしているカツが食欲をいっそう呼び起こさせる。


ふたを開けるとカツは2段重ね。
このまま食べてやろうと、一口、二口食べていたら、上段のカツが丼から机の上に落下!

おばちゃんに「上のカツはふたにのせて食べるといいですよ」なんて言われてしまい、
少し恥ずかしく、少し悔しい。

カツは分厚いが、かたくないし、脂身もほどよく入っていて食べやすい。
ソースも甘辛で私好み。
カツの下に隠れている、キャベツとごはんは、むしろ少なめなので、
完食しても、お腹がはち切れるような感じはない。
フツーにおいしくいただけたのだ。

食後についてくるサービスのコーヒーをいただき、店をでる。
道路の反対側にはローメン発祥のお店「萬里」がある。
さすがにソースカツ丼のあとにローメンまで食べようとは思わないが、
どんなお店か見てみようと行ってみたら、こちらも定休日。

おとなりにはローメン誕生の地の碑が建っていたよ。

ローメンというのは
「炒肉麺(チャーローメン)とも呼ばれ、マトンなどの肉と野菜を炒め(炒肉)、蒸した太めの中華麺を加えた長野県伊那地方の特有の麺料理である。ラーメン用のスープを加えるものと、加えないものがあるが、ラーメンとも焼きそばとも異なる独特の風味の料理である。」
とのこと(wikiより)。
伊那名物のソースカツ丼とローメン。
実は伊那に来るまでは昼食にどちらを食べようか迷っていたのだが、
どうして私がソースカツ丼を選択したかというと、
レンタカー会社のお兄さんが「地元ではローメンあまり食べないんですよ」って
ぼそっと話してくれたからなんだよね(笑)
きっとマトンを使っているから独特のクセがあって好みが分かれるんだろうなぁ。
さてとせっかく伊那まで来たのだから会津藩祖保科正之公ゆかりの高遠にまで足を伸ばしてみるかな。
中華料理 飯島
長野県伊那市坂下3309
0265-78-2446
電車を乗り継ぎ伊那をめざす。
新宿駅7時発のスーパーあずさ1号に「あずさ2号♪」を口ずさみながら乗り、
上諏訪駅で下車。
飯田線直通の豊橋行きに乗りかえる。
飯田線に乗るのははじめてなので、“鉄ちゃん”な私としてはウキウキしてしまう。
正確には、上諏訪~辰野間はJR東日本の中央本線で、
辰野~豊橋間が飯田線であり、JR東海の路線になるのだ。

辰野で乗務員が変わるのは会社が変わるのだからわかるのだが、
伊那松島駅でも乗務員が変わっていたのには驚いた。
さらにこの豊橋行きがビックリなのは、
上諏訪を9時19分に出発して、終点豊橋につくのが16時16分。
なんと7時間も運行しているのだ。
この間、運転士はさらに何回か変わるのだろうか、
とかあれこれ考えていたら、伊那市駅に10時30分に到着。
ここでレンタカーを借りる。

伊那生まれ伊那育ちだというレンタカー会社の若いおにいさんから
ご当地グルメ情報を仕入れ、まずは所用をすませる。
そして、気付けばもう時計の針は12時を回っている。
昼ご飯にしよう。
伊那といえば、ローメンとソースカツ丼が有名なのだ。
入手した情報をたよりに、伊那IC近くの「青い塔」にいく。

青い屋根の建物は以前のお店らしく、そのうしろに新しい新店舗ができている。

新しいお店は青くないようだ。

ところが、まさかの定休日。
がっくし。。。
ソースカツ丼情報は青い塔しか得ていなかったので、
あわてて私が長年愛用するガラケーでお店を検索し、伊那市駅方面に戻り、
「中華料理 飯島」に入る。

メニューを開くと中華料理のお店らしいメニューが並ぶが、
メニューの筆頭にちゃんと「カツ丼」の文字がある。
ソースカツ丼と書かなくても、伊那ではカツ丼といえば、ソースカツ丼なのだろうと理解し、
若干の不安も感じながら「カツ丼お願いします!」と注文。
そして、間違いなく「ソースカツ丼」が登場。
フタからはみだしているカツが食欲をいっそう呼び起こさせる。


ふたを開けるとカツは2段重ね。
このまま食べてやろうと、一口、二口食べていたら、上段のカツが丼から机の上に落下!

おばちゃんに「上のカツはふたにのせて食べるといいですよ」なんて言われてしまい、
少し恥ずかしく、少し悔しい。

カツは分厚いが、かたくないし、脂身もほどよく入っていて食べやすい。
ソースも甘辛で私好み。
カツの下に隠れている、キャベツとごはんは、むしろ少なめなので、
完食しても、お腹がはち切れるような感じはない。
フツーにおいしくいただけたのだ。

食後についてくるサービスのコーヒーをいただき、店をでる。
道路の反対側にはローメン発祥のお店「萬里」がある。
さすがにソースカツ丼のあとにローメンまで食べようとは思わないが、
どんなお店か見てみようと行ってみたら、こちらも定休日。

おとなりにはローメン誕生の地の碑が建っていたよ。

ローメンというのは
「炒肉麺(チャーローメン)とも呼ばれ、マトンなどの肉と野菜を炒め(炒肉)、蒸した太めの中華麺を加えた長野県伊那地方の特有の麺料理である。ラーメン用のスープを加えるものと、加えないものがあるが、ラーメンとも焼きそばとも異なる独特の風味の料理である。」
とのこと(wikiより)。
伊那名物のソースカツ丼とローメン。
実は伊那に来るまでは昼食にどちらを食べようか迷っていたのだが、
どうして私がソースカツ丼を選択したかというと、
レンタカー会社のお兄さんが「地元ではローメンあまり食べないんですよ」って
ぼそっと話してくれたからなんだよね(笑)
きっとマトンを使っているから独特のクセがあって好みが分かれるんだろうなぁ。
さてとせっかく伊那まで来たのだから会津藩祖保科正之公ゆかりの高遠にまで足を伸ばしてみるかな。
中華料理 飯島
長野県伊那市坂下3309
0265-78-2446
長命寺蕎麦を食べ終え、店を出るとお向かいにはパン屋さんがある。
「ベルナールハラ」というお店だ。
石神井住民に長く親しまれているパン屋さんだ。
「シュークリームとカスタードプリン」の文字が目に飛び込む。
どちらも私が大好きなスイーツだ。。
「よし、買って帰ろう!」

おそらくこちらのお店に入るのもはじめて。
残念ながら、シュークリームはなかったが、プリンはあったので4つ購入。

家に帰って早速ひとつぺろり☆
やさしい甘さのおいしいプリンだ。

学校から帰ってきた長女が2つめのプリンをぺろり☆
父親に似てプリン好きなんだよね。
長女が生まれてはじめて食べたプリンは
生後11ヶ月に那須のテディベアミュージアムのカフェで食べたプリンだ。
なんでそんなにはっきり覚えているかというと、
プリンをひとくちスプーンで食べさせたら、
あまりの美味しさに目をつぶって後ろにのけぞっていったんだよね。
「うわっ! うんま~♪」 みたいな感じで。
そののけぞりようがあまりに面白かったので我が家ではずっと語りぐさになっているのだ。
そんな長女もここのプリンはとっても気に入ったようで、
珍しく「パパ、ありがとう!」と感謝された(笑)
だから、いい気になって、次の日コージーコーナーでプリン買って帰ったら、
「これはダメ・・・」って言われてしまった。
パパ的には美味しかったんだけどな。
だんだん、味にうるさくなってきたらしい。
そんなところは父親に似なくていいのに。。。
プリンのほかにも惣菜パンも買った。
あとでおやつに食べようと思っていたら、
カツサンドもカレーパンも長男にとられた。


3つ目のプリンは、次男がぺろり☆
そして4つ目の最後のプリンを長男が食べていたら、
カミさんが「私のプリンは?」と聞いてくる。
私が「それが最後だよ・・・」って言ったら、一瞬にして場の空気が凍てつく。
すると長男がすかさず自分のプリンの半分をカミさんにあげた。
おかげで大きな紛争にならずに済んだ。
よくできた長男だ(笑)
それにしても私はなんではじめからプリンを5つ買わなかったんだろ???
ベルナール ハラ
練馬区石神井町2丁目1−11
03-3996-7243
「ベルナールハラ」というお店だ。
石神井住民に長く親しまれているパン屋さんだ。
「シュークリームとカスタードプリン」の文字が目に飛び込む。
どちらも私が大好きなスイーツだ。。
「よし、買って帰ろう!」

おそらくこちらのお店に入るのもはじめて。
残念ながら、シュークリームはなかったが、プリンはあったので4つ購入。

家に帰って早速ひとつぺろり☆
やさしい甘さのおいしいプリンだ。

学校から帰ってきた長女が2つめのプリンをぺろり☆
父親に似てプリン好きなんだよね。
長女が生まれてはじめて食べたプリンは
生後11ヶ月に那須のテディベアミュージアムのカフェで食べたプリンだ。
なんでそんなにはっきり覚えているかというと、
プリンをひとくちスプーンで食べさせたら、
あまりの美味しさに目をつぶって後ろにのけぞっていったんだよね。
「うわっ! うんま~♪」 みたいな感じで。
そののけぞりようがあまりに面白かったので我が家ではずっと語りぐさになっているのだ。
そんな長女もここのプリンはとっても気に入ったようで、
珍しく「パパ、ありがとう!」と感謝された(笑)
だから、いい気になって、次の日コージーコーナーでプリン買って帰ったら、
「これはダメ・・・」って言われてしまった。
パパ的には美味しかったんだけどな。
だんだん、味にうるさくなってきたらしい。
そんなところは父親に似なくていいのに。。。
プリンのほかにも惣菜パンも買った。
あとでおやつに食べようと思っていたら、
カツサンドもカレーパンも長男にとられた。


3つ目のプリンは、次男がぺろり☆
そして4つ目の最後のプリンを長男が食べていたら、
カミさんが「私のプリンは?」と聞いてくる。
私が「それが最後だよ・・・」って言ったら、一瞬にして場の空気が凍てつく。
すると長男がすかさず自分のプリンの半分をカミさんにあげた。
おかげで大きな紛争にならずに済んだ。
よくできた長男だ(笑)
それにしても私はなんではじめからプリンを5つ買わなかったんだろ???
ベルナール ハラ
練馬区石神井町2丁目1−11
03-3996-7243
自宅のPCの調子が悪く、すっかり更新をさぼっていたので、
ネタがたまってしまった。。。
どうにか回復したので、またちょっとずつアップしていこう。
さてさて、ひと月くらい前だったろうか、
お天気が良かったので石神井公園駅北口から歩いて10分ほどのところにある
長命寺までお散歩してみた。
石神井生まれ石神井育ちの私だが、長命寺の境内に入るのはこの日がはじめて。
若いときはお寺や神社に何も感じなかったが、
いまは寺社仏閣に足を運ぶとなんだか心が落ち着くのだ。

長命寺の歴史は古く江戸時代初期の創建である。
当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。
その後寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得る。
当初は山号は秀算により谷原山と称したが、当寺院が高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られており、東高野山とも称されるようになり「東高野山」として人々から信仰を得るようになった。
~長命寺ホームページより抜粋

長命寺が「東高野山」と称されたことから、
このあたりの地名を高野台(たかのだい)と呼ぶのだ。



心が洗われたら、お腹が空いてきた。
もちろん私がこれだけで帰るはずがない。
長命寺の近くにある「長命寺蕎麦 豊島」へ。
ここに入るのもはじめてだ。
長年石神井にいてもまだまだ入ったことのないお店はあるもんだ。

フツーの町のお蕎麦屋さんといったメニューだ。



玉子焼きとせいろ、そしてビールをオーダー。


お通しの山菜もおいしくて、つい熱燗も注文しちゃう☆

こちらのお店がすばらしかったのは、「せいろはあとで・・・・・・」とは言わなかったのに、
お酒を飲んでいる間は、せいろを出さずに、こちらの状況を見てせいろを出してくれたことだ。
こういう気遣いは呑兵衛には嬉しいものだ。
そして、せいろ登場。
すると厨房から「十割おしまい」みたいなことが聞こえてきた。
まったく意識していなかったが、開店から何人前かの「せいろ」の十割そばらしい。
私の分はキープしといてくれたんだろう。
なお、嬉しくなる。

メニューをみたときにはフツーの蕎麦屋かなと甘く見ていたが、
ここの十割蕎麦とっても美味しい!

長命寺の住職が揮毫した看板。

さてと、のんびり帰るかな。

お寺を参詣し、蕎麦屋酒で〆る。
「ちい散歩」ならぬ「ばる散歩」も楽しいなぁ。
寺巡りにはまりそう(笑)
石神井には数多くの古刹があるから
少しずつ散策してみようかな。
長命寺蕎麦 豊島
練馬区高野台3-8-10
03-3997-2288
ネタがたまってしまった。。。
どうにか回復したので、またちょっとずつアップしていこう。
さてさて、ひと月くらい前だったろうか、
お天気が良かったので石神井公園駅北口から歩いて10分ほどのところにある
長命寺までお散歩してみた。
石神井生まれ石神井育ちの私だが、長命寺の境内に入るのはこの日がはじめて。
若いときはお寺や神社に何も感じなかったが、
いまは寺社仏閣に足を運ぶとなんだか心が落ち着くのだ。

長命寺の歴史は古く江戸時代初期の創建である。
当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。
その後寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得る。
当初は山号は秀算により谷原山と称したが、当寺院が高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られており、東高野山とも称されるようになり「東高野山」として人々から信仰を得るようになった。
~長命寺ホームページより抜粋

長命寺が「東高野山」と称されたことから、
このあたりの地名を高野台(たかのだい)と呼ぶのだ。



心が洗われたら、お腹が空いてきた。
もちろん私がこれだけで帰るはずがない。
長命寺の近くにある「長命寺蕎麦 豊島」へ。
ここに入るのもはじめてだ。
長年石神井にいてもまだまだ入ったことのないお店はあるもんだ。

フツーの町のお蕎麦屋さんといったメニューだ。



玉子焼きとせいろ、そしてビールをオーダー。


お通しの山菜もおいしくて、つい熱燗も注文しちゃう☆

こちらのお店がすばらしかったのは、「せいろはあとで・・・・・・」とは言わなかったのに、
お酒を飲んでいる間は、せいろを出さずに、こちらの状況を見てせいろを出してくれたことだ。
こういう気遣いは呑兵衛には嬉しいものだ。
そして、せいろ登場。
すると厨房から「十割おしまい」みたいなことが聞こえてきた。
まったく意識していなかったが、開店から何人前かの「せいろ」の十割そばらしい。
私の分はキープしといてくれたんだろう。
なお、嬉しくなる。

メニューをみたときにはフツーの蕎麦屋かなと甘く見ていたが、
ここの十割蕎麦とっても美味しい!

長命寺の住職が揮毫した看板。

さてと、のんびり帰るかな。

お寺を参詣し、蕎麦屋酒で〆る。
「ちい散歩」ならぬ「ばる散歩」も楽しいなぁ。
寺巡りにはまりそう(笑)
石神井には数多くの古刹があるから
少しずつ散策してみようかな。
長命寺蕎麦 豊島
練馬区高野台3-8-10
03-3997-2288