Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
次なる作戦行動。
それは京都の銭湯に入ることだ。
東京ではずいぶんと銭湯巡りをしてきたが、
西の銭湯に入ったことはない。
錦市場のそばにある「錦湯」へ向かう。

なかなかのたたずまいではないか。

玄関が一緒で中で男女分かれるのではなく、いきなり男女の扉が違うのは面白い。

玄関から入るとすぐ左に番台。
430円を払う。値上げしたようだが、東京より30円安い。

そして、下駄箱に靴を入れたら、籐むしろが敷かれた脱衣場。

何より驚きは、この柳行李の脱衣かごだ。
昔ながらの京の伝統を守っている銭湯のようだ。
手作りの柳行李はひとつ6万円以上とも聞く。
常連さんのは名前が入っていて、直しながら代々使っているのもあるらしい。

東と西では銭湯文化も違うのかなとビビりながら風呂場に行くと、
風呂場は西も東もあまり変わりが無いようだ。
先客2名もあがってしまい、貸切状態になって銭湯を楽しむ。
私が風呂をあがってもお客さんは私だけだったので、
脱衣場などの写真を撮らせてもらったのだ。

こちらの銭湯は、ジャズがBGMだったり、寄席を開いたり、
銭湯文化を現代にも広げようとさまざまな試みをしているようだ。

さてと、風呂上がりですから、もう1軒。
錦市場に来ると必ず立ち寄ってしまう「だいやす」だ。

いつもは店先のカウンターで呑むことが多いが、
この日は奥のスペースに通された。
奥ははじめてだ。

すっかりオシャレ居酒屋さんになっている。



ビールでリセット。

生牡蠣と焼牡蠣には、
丹後にあるハクレイ酒造の「香田 特別純米」を合わせる。

旅行先でのウォーキング&銭湯もその土地柄がよくわかって面白い。
またどこかでやってみよう!
錦湯
京都府京都市中京区堺町通錦小路下る八百屋町535
075-221-6479
かき屋 錦だいやす
京都府京都市中京区 錦小路通高倉東入中魚屋町509
075-221-0246
それは京都の銭湯に入ることだ。
東京ではずいぶんと銭湯巡りをしてきたが、
西の銭湯に入ったことはない。
錦市場のそばにある「錦湯」へ向かう。

なかなかのたたずまいではないか。

玄関が一緒で中で男女分かれるのではなく、いきなり男女の扉が違うのは面白い。

玄関から入るとすぐ左に番台。
430円を払う。値上げしたようだが、東京より30円安い。

そして、下駄箱に靴を入れたら、籐むしろが敷かれた脱衣場。

何より驚きは、この柳行李の脱衣かごだ。
昔ながらの京の伝統を守っている銭湯のようだ。
手作りの柳行李はひとつ6万円以上とも聞く。
常連さんのは名前が入っていて、直しながら代々使っているのもあるらしい。

東と西では銭湯文化も違うのかなとビビりながら風呂場に行くと、
風呂場は西も東もあまり変わりが無いようだ。
先客2名もあがってしまい、貸切状態になって銭湯を楽しむ。
私が風呂をあがってもお客さんは私だけだったので、
脱衣場などの写真を撮らせてもらったのだ。

こちらの銭湯は、ジャズがBGMだったり、寄席を開いたり、
銭湯文化を現代にも広げようとさまざまな試みをしているようだ。

さてと、風呂上がりですから、もう1軒。
錦市場に来ると必ず立ち寄ってしまう「だいやす」だ。

いつもは店先のカウンターで呑むことが多いが、
この日は奥のスペースに通された。
奥ははじめてだ。

すっかりオシャレ居酒屋さんになっている。



ビールでリセット。

生牡蠣と焼牡蠣には、
丹後にあるハクレイ酒造の「香田 特別純米」を合わせる。

旅行先でのウォーキング&銭湯もその土地柄がよくわかって面白い。
またどこかでやってみよう!
錦湯
京都府京都市中京区堺町通錦小路下る八百屋町535
075-221-6479
かき屋 錦だいやす
京都府京都市中京区 錦小路通高倉東入中魚屋町509
075-221-0246
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※今日の記事は写真のボリュームがかなり多いです。あらかじめお断りしておきます。
家族で京都にやって来た。
カミさんと子どもたちは京都の友人にそれぞれ会いに行くので、
京都駅に着くやいなや、解散。
とくに京都に友人のいない私は「ぼっち」。
夕方まで自由時間が与えられた。
これは嬉しい♪
よーし!
京都の町を歩くぞぉー!
しかし、京都の有名スポットはほとんど行き尽くしているので、
なにか目的を持って歩かないと意味が無い。
そうだ!
高校受験を来春に控える長女のために合格祈願をしてこよう。
京都駅から地下鉄に乗る。

京都市営地下鉄烏丸線

京都もアニメ・漫画に力を入れているので、
こういう電車はよく見かける。

同志社大学や京都御所にほど近い今出川駅で下車。
ここを出発点とする。

今出川通りを西に向かうとすぐに、床屋さんがある。
一見なんてことなにフツーの町の床屋さんだが、ここには面白い石碑が建っているのだ。

室町幕府の名前の由来となっている「室町第」、いわゆる「花の御所」があった場所なのだ。
左に見えている通りはその名も「室町通り」である。

まず立ち寄ったのは、長女のためではなく、
部活男子となってがんばっている長男と、サッカー大好きな次男のために、
球技の神様である「白峯神宮」にまずお参り。

ここは和歌や蹴鞠を家業とした公家・飛鳥井家の邸宅があった地であったことから、
サッカーや球技全般の守護神とされ、
日本代表チームや有名プロ選手が参詣し、ボールなどを奉納している。

鞠庭

長男、次男が上達するように願っただけでなく、
私のゴルフも少しはマシになるようにちゃっかりお願いした(笑)

次に向かったのは白峯神宮から5分ほどのところにある「晴明神社」だ。

そんなに大きな神社ではないが、
近頃はパワースポットとして有名となり、参拝客が多い。

言わずもがな、陰陽師安倍晴明を祀った神社で、
平安時代ここに晴明の屋敷があったのだ。

本厄なので、私はしっかり「厄除桃」をさわって厄除けだ。
お尻を触ってるみたいだとは決して言わない・・・

この神社を訪れるのは2度目だが、
長男が受験の時に「勝守」を買ったら、合格したので、お礼参りに来たかったのだ。
境内の桔梗も咲き始めていた。

堀川今出川の交差点に戻り、堀川通を北に進む。
京都の主要な交差点名は南北の通り名と東西の通り名からつけられていることが多く、わかりやすい。

今度は床屋ではなくガソリンスタンドのとなりのマンションの一角に石碑を発見!

山名宗全邸址
応仁の乱で西軍を率いた山名宗全はここに住んでいたのかぁ。
西軍が陣を構えた場所から「西陣」とついた地名もこのあたりだもんなぁ。納得。

堀川通を離れ、宝鏡寺のある通りに寄り道。
すると「百ゝ橋の礎石」なる看板と礎石を発見!
京都は歩いているだけで次々とおもろいものに出会えるから楽しい。

どうやらこのあたりで、
応仁の乱の際に山名宗全と細川勝元が対峙し、激突したようだ。

そして、その礎石を左折し、京都らしい小路に入っていく。

すると表千家の「不審庵」、・・・

裏千家の「今日庵」と連なる。
今日庵が不審庵の裏手にあることから裏千家と呼ばれる。

そして、立派なお寺を見つけたので、入ってみる。

日蓮宗の「本法寺」だ。
日親上人の開創で1436年に建立されたそうだ。

ここには本阿弥光悦お手植えの松がある。

「十(つなし)の庭」

本阿弥光悦作庭のお庭へ。

「巴の庭」だ。

本法寺を出て堀川通に戻ると「日本最初の天満宮」と謂われる「水火天満宮」へ。


天満宮ですから菅原道真を祀っているので、ここでもちゃんと合格祈願。

そして、すぐそばには「後花園天皇 火葬塚」。
後花園天皇(在位1428年9月7日 - 1464年8月21日)
この火葬塚が後花園天皇のものであることは学術上、かなり確実らしい。
天皇も持統天皇以降は仏教の影響で火葬が主流だったんだよね。
でも、江戸時代の後光明天皇が仏教嫌いで土葬にして以来、土葬が続いている。
今上天皇は火葬を希望されているとも伝えられているが、どうなるのかな。

横断を歩道を渡ると、忠臣蔵好きの私がめざとく見つけた。
いまは山科にある「瑞光院」はかつてここにあったのだ。

「瑞光院」と言えば、赤穂義士の遺髪が埋葬されている寺院だ。

堀川通をさらに北に進んだ後、「堀川北大路」を左折。

大徳寺といえば、「大徳寺納豆」が思い出されるが、あまり食べたことがない。。。

大徳寺は臨済宗大徳寺派の総本山。
一休宗純(一休さんのモデル)で有名な寺院でもある。
境内には20あまりの塔頭がある、京都でも大きな寺院であるが、
ここはこれまで来たことがなかったのだ。

拝観できる4つの塔頭を順に回っていこう。
【龍源院】
大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。

阿吽の石庭

すごい碁盤が飾られていた。

この碁盤で家康と秀吉とが対局したというのか!
想像するだけで胸躍る。

東滴壺(とうてきこ)
昭和35年(1960年)に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。 ~Wikipedia


一枝坦(いっしだん)
東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名付けられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。 ~Wikipedia

龍吟庭

【瑞峯院】
大友宗麟が建立。

閑眠庭

独坐庭

後奈良天皇の宸筆による寺額


大徳寺本坊は非公開。

大徳寺法堂

【大仙院】
永正6年(1509年)に大徳寺76世住職古岳宗亘(こがくそうこう、大聖国師)によって創建された。
現在22に及ぶ大徳寺塔頭中、北派本庵として最も尊重重視される名刹である。 ~Wikipedia



こちらは拝観可能な塔頭のなかで唯一写真撮影不可であったので、
外から。
大仙院 玄関(国宝)

最後の塔頭は・・・
【高桐院】
常時公開の塔頭。細川氏に所縁があり、京都での肥後細川氏の菩提寺。
細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。
楓と灯篭だけで構成された方丈の南庭が特徴的。
忠興が北野大茶会の際に使用したという茶室「松向軒」、
利休屋敷から移築したという座敷もある。 ~Wikipedia

ここの塔頭が4つのなかでは一番好みだったなぁ。






この灯籠は、細川忠興と夫人である細川ガラシャの墓。
ガラシャは明智光秀の三女であり、キリスト教徒として知られる。
三浦綾子の『細川ガラシャ』をずいぶん前に読んだなぁ。





大徳寺から今宮神社へ。
あぶり餅の誘惑にも負けず、東門から入る。

やすらい人形を奉納する。




今宮神社を出て、おっかない土塀を横目に、北野天満宮を目指す。

その途中に見つけたこの「浄土院」というお寺。
実に面白い。

石碑をよく見ると「湯たくさん茶くれん寺」と刻まれている。
これは茶の湯好きであった秀吉とこの寺院とのエピソードによるものだ。

秀吉は名水が出ることで有名な浄土院にフラリと立ち寄り、
座敷に上 がり込みました。
そして秀吉は、「茶を所望する!」と言いました。
庵主はお客がお客だけに大変驚きました。
目の前にいる人物こそ千利休に茶を 学んだ、時の太閤秀吉だったからです。
事前に来るのが分かっていたのならとも かく、突然の来訪です。
下手にお茶を差し上げれば、小言を喰らうのが見えてい ます。
庵主は考えた末に、白湯だけを出しました。
秀吉は、お茶を所望したのに、湯を持ってくるとは。
恐らく聞き間違えたのだ ろうと思い、もう一度「茶を所望したい」と言いました。
庵主は、「まずいことになった」と思いながらも、今度も白湯を差し出しまし た。
二度にわたる白湯に対して、普通の人なら怒り出すところかもしれません。
しかし、頭の回転の早い秀吉は、すぐに気付きました。
「この尼僧は、私が茶の好きなのを知っているな。まずい茶を出すぐらいならと、 白湯を出しおったな」
秀吉はにっこり笑って、
「茶を所望したのに、そちは白湯ばかりたくさん飲ませおったわい。茶はぜんぜんくれなかったわい」
「これからは、 『湯だくさん茶くれん寺』と名乗りなさい」
と言って、また北野に向けて立ち去 ってしまいました。
実はこの浄土院のエピソード知っていたのだが、
この寺院がどこにあってなんて名前の寺院だったか忘れていたのだ。
今回ウォーキングしていてたまたま遭遇し、思い出すことができてよかった。
北野天満宮はもう近くだが、
美味しそうなお店が目についてかなわない。。。

先日日曜の戯れ言で取り上げたチャーミングチャーハンはこのとき見つけたお店なのだ。

このお店、チャーハン専門店というわけではなく、ラーメンや中華丼などいろんなメニューがある。
チャーミングなのは、どんなメニューにもチャーハンをつけられること。
「ラーメン+チャーハン」は定番。
「野菜炒め+チャーハン」とかは想定内。
「中華丼+チャーハン」「麻婆丼+チャーハン」ってどういうこと???
さらには「焼き飯+チャーハン」ってなんなんだ!!!
チャーハンにチャーハンつけるってことか。
とんでもなくチャーミングじゃないか(笑)
上七軒から北野天満宮へ向かおう。


室町時代に北野天満宮再建で残った木材で7軒の茶屋を出したのがはじまりで、
花街として江戸時代まで大いに賑わった。
明治以降衰退、現在も10軒ほどのお茶屋さんがあるそうだ。

北野天満宮東門にようやく到着。

この日は曇りの予報だったのだが、青空が広がり日差しも出ていた。
大福梅の土用干しがおこなわれていた。
見るだけで、舌の奥がキュッとなる。

道真の句
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。
この梅が京都から大宰府まで飛んできたというのだから驚く。

政敵・藤原時平によって大宰府に左遷された菅原道真。
そして、都から遠く離れた地で失意のまま亡くなる。
すると、時平も若くして死去。
清涼殿には雷が落ち、道真左遷に関わったとされる貴族が相次いで亡くなる。
これらの災厄を道真の祟りと怖れた人々が、
道真の霊を鎮めようと祀ったことが天満宮のはじまりである。

そんな祟りとされた道真が、その優秀さからいまや「学問の神様」となって
全国の受験戦に信奉されているというのはなんとも面白い話だ。

そして、道真といえば、「牛」。
亡くなった道真を運ぶ牛車が立ち止まった場所がいまの太宰府天満宮の場所ともいわれ、
道真には牛に関する逸話が多く、天神信仰に牛はかかせない動物なのだ。

北野大茶会は1587年11月1日に北野天満宮で開かれた。

10日間開催されるはずだった大茶会は急遽1日で閉じられた。
この理由には諸説あるようだ。

芸舞妓さんの練習がおこなわれる上七軒歌舞練場。
夏になるとここではビアガーデンが開かれ浴衣姿の芸舞妓さんがおもてなししてくるそう。
いつか来てみたいなぁ。。。

京都の夏は本当に暑い。
東京の暑さとはまた違った暑さである。
5~6㎞を歩き、かなりへばった。
もう歩くのはやめておこう。
明日からの観光にさわってもいけない。
嵐電で四条の方へ戻ろう。
通称「らんでん」。正式名称は京福電鉄だ。

北野白梅町駅から嵐電北野線に乗車。

嵐電も東急世田谷線同様、路面電車扱いだが、これも併用軌道はほぼない。

もちろんワンマン運転。
降車の際にはバスみたいにボタンを押す。

帷子ノ辻駅で同じく嵐電嵐山本線に乗り換え、四条大宮駅へ。

するとカミさんからメール。
「どこかで合流しよう」という。
「では、錦天満宮で落ち合おう」と返信する。
太秦広隆寺駅のあたりは、少し併用軌道だ。

四条大宮駅から錦市場を抜けて錦天満宮まで歩いて向かおうと考えたが、
あまりの猛暑にもう歩く気力がなく、大宮駅で阪急に乗車。
阪急のチョコレート色が大好き♪
なんかレトロ感と高級感があるんだよねー

終点河原町で下車。
新京極に出る。

錦天満宮。

まだカミさんと次男は来ていなかったので、お参りして待つ。
今日、いくつめの天満宮だよっ(笑)
道真さん、お願いしますよ~

カミさんと次男も合流。
ふたりは当然お昼を済ませていたが、
私は昼も食べずにもくもくとウォーキングをしていたので、
お腹も喉もからっからだ。
京都で有名な「京極スタンド」に入る。

来てみたかったんだよね♪



生ビール(大)のセット。
この伝票がいかにもだ。

生ビールはセットにすると冷奴・ハム・エビカツ・枝豆・スパサラがつく。

せっかくの夏の京都。「鱧おとし」を追加。

食欲がおさまらない私は「揚げそば」を注文。
すごいボリュームだが、ぺろっと食べてしまった(笑)

レモンサワーや白州のハイボールなどをカミさんと呑みつつ、
お互いの「今日」を報告。


カミさんと次男はかき氷を食べに行くと五条の方へ行ってしまった。
私は次の作戦行動に出るのであった。
京極スタンド
京都府京都市中京区新京極通四条上る中之町546
075-221-4156
※長文、最後までおつきあいありがとうございました。
今日の記事の作成には半日要しました・・・(汗)
家族で京都にやって来た。
カミさんと子どもたちは京都の友人にそれぞれ会いに行くので、
京都駅に着くやいなや、解散。
とくに京都に友人のいない私は「ぼっち」。
夕方まで自由時間が与えられた。
これは嬉しい♪
よーし!
京都の町を歩くぞぉー!
しかし、京都の有名スポットはほとんど行き尽くしているので、
なにか目的を持って歩かないと意味が無い。
そうだ!
高校受験を来春に控える長女のために合格祈願をしてこよう。
京都駅から地下鉄に乗る。

京都市営地下鉄烏丸線

京都もアニメ・漫画に力を入れているので、
こういう電車はよく見かける。

同志社大学や京都御所にほど近い今出川駅で下車。
ここを出発点とする。

今出川通りを西に向かうとすぐに、床屋さんがある。
一見なんてことなにフツーの町の床屋さんだが、ここには面白い石碑が建っているのだ。

室町幕府の名前の由来となっている「室町第」、いわゆる「花の御所」があった場所なのだ。
左に見えている通りはその名も「室町通り」である。

まず立ち寄ったのは、長女のためではなく、
部活男子となってがんばっている長男と、サッカー大好きな次男のために、
球技の神様である「白峯神宮」にまずお参り。

ここは和歌や蹴鞠を家業とした公家・飛鳥井家の邸宅があった地であったことから、
サッカーや球技全般の守護神とされ、
日本代表チームや有名プロ選手が参詣し、ボールなどを奉納している。

鞠庭

長男、次男が上達するように願っただけでなく、
私のゴルフも少しはマシになるようにちゃっかりお願いした(笑)

次に向かったのは白峯神宮から5分ほどのところにある「晴明神社」だ。

そんなに大きな神社ではないが、
近頃はパワースポットとして有名となり、参拝客が多い。

言わずもがな、陰陽師安倍晴明を祀った神社で、
平安時代ここに晴明の屋敷があったのだ。

本厄なので、私はしっかり「厄除桃」をさわって厄除けだ。
お尻を触ってるみたいだとは決して言わない・・・

この神社を訪れるのは2度目だが、
長男が受験の時に「勝守」を買ったら、合格したので、お礼参りに来たかったのだ。
境内の桔梗も咲き始めていた。

堀川今出川の交差点に戻り、堀川通を北に進む。
京都の主要な交差点名は南北の通り名と東西の通り名からつけられていることが多く、わかりやすい。

今度は床屋ではなくガソリンスタンドのとなりのマンションの一角に石碑を発見!

山名宗全邸址
応仁の乱で西軍を率いた山名宗全はここに住んでいたのかぁ。
西軍が陣を構えた場所から「西陣」とついた地名もこのあたりだもんなぁ。納得。

堀川通を離れ、宝鏡寺のある通りに寄り道。
すると「百ゝ橋の礎石」なる看板と礎石を発見!
京都は歩いているだけで次々とおもろいものに出会えるから楽しい。

どうやらこのあたりで、
応仁の乱の際に山名宗全と細川勝元が対峙し、激突したようだ。

そして、その礎石を左折し、京都らしい小路に入っていく。

すると表千家の「不審庵」、・・・

裏千家の「今日庵」と連なる。
今日庵が不審庵の裏手にあることから裏千家と呼ばれる。

そして、立派なお寺を見つけたので、入ってみる。

日蓮宗の「本法寺」だ。
日親上人の開創で1436年に建立されたそうだ。

ここには本阿弥光悦お手植えの松がある。

「十(つなし)の庭」

本阿弥光悦作庭のお庭へ。

「巴の庭」だ。

本法寺を出て堀川通に戻ると「日本最初の天満宮」と謂われる「水火天満宮」へ。


天満宮ですから菅原道真を祀っているので、ここでもちゃんと合格祈願。

そして、すぐそばには「後花園天皇 火葬塚」。
後花園天皇(在位1428年9月7日 - 1464年8月21日)
この火葬塚が後花園天皇のものであることは学術上、かなり確実らしい。
天皇も持統天皇以降は仏教の影響で火葬が主流だったんだよね。
でも、江戸時代の後光明天皇が仏教嫌いで土葬にして以来、土葬が続いている。
今上天皇は火葬を希望されているとも伝えられているが、どうなるのかな。

横断を歩道を渡ると、忠臣蔵好きの私がめざとく見つけた。
いまは山科にある「瑞光院」はかつてここにあったのだ。

「瑞光院」と言えば、赤穂義士の遺髪が埋葬されている寺院だ。

堀川通をさらに北に進んだ後、「堀川北大路」を左折。

大徳寺といえば、「大徳寺納豆」が思い出されるが、あまり食べたことがない。。。

大徳寺は臨済宗大徳寺派の総本山。
一休宗純(一休さんのモデル)で有名な寺院でもある。
境内には20あまりの塔頭がある、京都でも大きな寺院であるが、
ここはこれまで来たことがなかったのだ。

拝観できる4つの塔頭を順に回っていこう。
【龍源院】
大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。

阿吽の石庭

すごい碁盤が飾られていた。

この碁盤で家康と秀吉とが対局したというのか!
想像するだけで胸躍る。

東滴壺(とうてきこ)
昭和35年(1960年)に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。 ~Wikipedia


一枝坦(いっしだん)
東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名付けられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ亀島が印象的な斬新な庭である。 ~Wikipedia

龍吟庭

【瑞峯院】
大友宗麟が建立。

閑眠庭

独坐庭

後奈良天皇の宸筆による寺額


大徳寺本坊は非公開。

大徳寺法堂

【大仙院】
永正6年(1509年)に大徳寺76世住職古岳宗亘(こがくそうこう、大聖国師)によって創建された。
現在22に及ぶ大徳寺塔頭中、北派本庵として最も尊重重視される名刹である。 ~Wikipedia



こちらは拝観可能な塔頭のなかで唯一写真撮影不可であったので、
外から。
大仙院 玄関(国宝)

最後の塔頭は・・・
【高桐院】
常時公開の塔頭。細川氏に所縁があり、京都での肥後細川氏の菩提寺。
細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。
楓と灯篭だけで構成された方丈の南庭が特徴的。
忠興が北野大茶会の際に使用したという茶室「松向軒」、
利休屋敷から移築したという座敷もある。 ~Wikipedia

ここの塔頭が4つのなかでは一番好みだったなぁ。






この灯籠は、細川忠興と夫人である細川ガラシャの墓。
ガラシャは明智光秀の三女であり、キリスト教徒として知られる。
三浦綾子の『細川ガラシャ』をずいぶん前に読んだなぁ。





大徳寺から今宮神社へ。
あぶり餅の誘惑にも負けず、東門から入る。

やすらい人形を奉納する。




今宮神社を出て、おっかない土塀を横目に、北野天満宮を目指す。

その途中に見つけたこの「浄土院」というお寺。
実に面白い。

石碑をよく見ると「湯たくさん茶くれん寺」と刻まれている。
これは茶の湯好きであった秀吉とこの寺院とのエピソードによるものだ。

秀吉は名水が出ることで有名な浄土院にフラリと立ち寄り、
座敷に上 がり込みました。
そして秀吉は、「茶を所望する!」と言いました。
庵主はお客がお客だけに大変驚きました。
目の前にいる人物こそ千利休に茶を 学んだ、時の太閤秀吉だったからです。
事前に来るのが分かっていたのならとも かく、突然の来訪です。
下手にお茶を差し上げれば、小言を喰らうのが見えてい ます。
庵主は考えた末に、白湯だけを出しました。
秀吉は、お茶を所望したのに、湯を持ってくるとは。
恐らく聞き間違えたのだ ろうと思い、もう一度「茶を所望したい」と言いました。
庵主は、「まずいことになった」と思いながらも、今度も白湯を差し出しまし た。
二度にわたる白湯に対して、普通の人なら怒り出すところかもしれません。
しかし、頭の回転の早い秀吉は、すぐに気付きました。
「この尼僧は、私が茶の好きなのを知っているな。まずい茶を出すぐらいならと、 白湯を出しおったな」
秀吉はにっこり笑って、
「茶を所望したのに、そちは白湯ばかりたくさん飲ませおったわい。茶はぜんぜんくれなかったわい」
「これからは、 『湯だくさん茶くれん寺』と名乗りなさい」
と言って、また北野に向けて立ち去 ってしまいました。
実はこの浄土院のエピソード知っていたのだが、
この寺院がどこにあってなんて名前の寺院だったか忘れていたのだ。
今回ウォーキングしていてたまたま遭遇し、思い出すことができてよかった。
北野天満宮はもう近くだが、
美味しそうなお店が目についてかなわない。。。

先日日曜の戯れ言で取り上げたチャーミングチャーハンはこのとき見つけたお店なのだ。

このお店、チャーハン専門店というわけではなく、ラーメンや中華丼などいろんなメニューがある。
チャーミングなのは、どんなメニューにもチャーハンをつけられること。
「ラーメン+チャーハン」は定番。
「野菜炒め+チャーハン」とかは想定内。
「中華丼+チャーハン」「麻婆丼+チャーハン」ってどういうこと???
さらには「焼き飯+チャーハン」ってなんなんだ!!!
チャーハンにチャーハンつけるってことか。
とんでもなくチャーミングじゃないか(笑)
上七軒から北野天満宮へ向かおう。


室町時代に北野天満宮再建で残った木材で7軒の茶屋を出したのがはじまりで、
花街として江戸時代まで大いに賑わった。
明治以降衰退、現在も10軒ほどのお茶屋さんがあるそうだ。

北野天満宮東門にようやく到着。

この日は曇りの予報だったのだが、青空が広がり日差しも出ていた。
大福梅の土用干しがおこなわれていた。
見るだけで、舌の奥がキュッとなる。

道真の句
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」は有名。
この梅が京都から大宰府まで飛んできたというのだから驚く。

政敵・藤原時平によって大宰府に左遷された菅原道真。
そして、都から遠く離れた地で失意のまま亡くなる。
すると、時平も若くして死去。
清涼殿には雷が落ち、道真左遷に関わったとされる貴族が相次いで亡くなる。
これらの災厄を道真の祟りと怖れた人々が、
道真の霊を鎮めようと祀ったことが天満宮のはじまりである。

そんな祟りとされた道真が、その優秀さからいまや「学問の神様」となって
全国の受験戦に信奉されているというのはなんとも面白い話だ。

そして、道真といえば、「牛」。
亡くなった道真を運ぶ牛車が立ち止まった場所がいまの太宰府天満宮の場所ともいわれ、
道真には牛に関する逸話が多く、天神信仰に牛はかかせない動物なのだ。

北野大茶会は1587年11月1日に北野天満宮で開かれた。

10日間開催されるはずだった大茶会は急遽1日で閉じられた。
この理由には諸説あるようだ。

芸舞妓さんの練習がおこなわれる上七軒歌舞練場。
夏になるとここではビアガーデンが開かれ浴衣姿の芸舞妓さんがおもてなししてくるそう。
いつか来てみたいなぁ。。。

京都の夏は本当に暑い。
東京の暑さとはまた違った暑さである。
5~6㎞を歩き、かなりへばった。
もう歩くのはやめておこう。
明日からの観光にさわってもいけない。
嵐電で四条の方へ戻ろう。
通称「らんでん」。正式名称は京福電鉄だ。

北野白梅町駅から嵐電北野線に乗車。

嵐電も東急世田谷線同様、路面電車扱いだが、これも併用軌道はほぼない。

もちろんワンマン運転。
降車の際にはバスみたいにボタンを押す。

帷子ノ辻駅で同じく嵐電嵐山本線に乗り換え、四条大宮駅へ。

するとカミさんからメール。
「どこかで合流しよう」という。
「では、錦天満宮で落ち合おう」と返信する。
太秦広隆寺駅のあたりは、少し併用軌道だ。

四条大宮駅から錦市場を抜けて錦天満宮まで歩いて向かおうと考えたが、
あまりの猛暑にもう歩く気力がなく、大宮駅で阪急に乗車。
阪急のチョコレート色が大好き♪
なんかレトロ感と高級感があるんだよねー

終点河原町で下車。
新京極に出る。

錦天満宮。

まだカミさんと次男は来ていなかったので、お参りして待つ。
今日、いくつめの天満宮だよっ(笑)
道真さん、お願いしますよ~

カミさんと次男も合流。
ふたりは当然お昼を済ませていたが、
私は昼も食べずにもくもくとウォーキングをしていたので、
お腹も喉もからっからだ。
京都で有名な「京極スタンド」に入る。

来てみたかったんだよね♪



生ビール(大)のセット。
この伝票がいかにもだ。

生ビールはセットにすると冷奴・ハム・エビカツ・枝豆・スパサラがつく。

せっかくの夏の京都。「鱧おとし」を追加。

食欲がおさまらない私は「揚げそば」を注文。
すごいボリュームだが、ぺろっと食べてしまった(笑)

レモンサワーや白州のハイボールなどをカミさんと呑みつつ、
お互いの「今日」を報告。


カミさんと次男はかき氷を食べに行くと五条の方へ行ってしまった。
私は次の作戦行動に出るのであった。
京極スタンド
京都府京都市中京区新京極通四条上る中之町546
075-221-4156
※長文、最後までおつきあいありがとうございました。
今日の記事の作成には半日要しました・・・(汗)
翌日は、前日に思い立った「石清水八幡宮」へ参詣する。
まずは京都駅から近鉄に乗る。
関西の私鉄って関東とは違う独特の雰囲気があって、
阪急に乗っても近鉄に乗っても京阪に乗っても、それぞれに味があって楽しくなる♪

近鉄も檀れいなんだね☆
さらにテンションアップ

八幡市駅で男山ケーブルカーに乗り換え、石清水八幡宮のある男山山上へ。

石清水八幡宮と言えば、『徒然草」第五十二段が思い出される。
私は先達に聞いたわけではないが、事前にネットでアクセスを調べたので、
ちゃんとケーブルカーで山の上に登ったのだ(笑)
仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
仁和寺のお坊さんが長年気にかけていた岩清水への参詣を思い立ち、歩いて向かった。
そして極楽寺・高良神社を拝んで、こんなものかと思って仁和寺へ帰った。
このときお坊さんは山の上に登っていく参詣者の姿を見て、「何だろう」と不思議に思ったが、
岩清水参詣が目的なので山に登らず帰ったというわけだ。
肝心の岩清水は山の上だというのに・・・
ささいなことでも先達のアドバイスに耳を傾けることが肝要だという説話である。
これが仁和寺の法師はたどり着けなかった「石清水八幡宮」だ。
伊勢神宮・賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)とともに日本三社の一社であるほか、
宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社であるほど社格が高い。

そして、石清水八幡宮のもうひとつの有名スポットが「エジソン記念碑」だ。
なんでこんなところにエジソンの記念碑があるんだ???

エジソンは白熱電球に不可欠なフィラメントの材料として「竹」が最適だと知り、
10万ドルの費用と20人の調査員によって世界中の竹を探し回った。
そのときの調査員のひとりが伊藤博文や山県有朋に面会し「竹なら京都が一番だ」と聞く。
京都に向かい府知事に会うと、「嵯峨野か八幡ならば良質の竹がある」と言われ、
石清水八幡宮の真竹に出会うというわけ。
この八幡の真竹は1200時間という最長点灯記録をもたらし、
以後八幡の竹が19世紀末まで輸出されていたのだ。
いやはやエジソンと日本の思わぬつながりにビックリしたが、
このことを長男がすでに知っていたことにもっとビックリしたよ(汗)
次に向かったのがその長男が行きたいと言っていた伏見だ。
京阪の中書島駅で降り、伏見の街を歩く。
商店街で『テルマエ・ロマエ』に出てきそうなレトロな銭湯発見

十石舟が川に浮かぶ。

伏見といえば、もちろん酒蔵。
こちらは月桂冠だ。

長男が行きたいと言っていたのは「寺田屋」だ。
幕末や新撰組が大好きな長男らしいリクエストだ。

おりょうが龍馬に急を知らせた階段

そのときおりょうが入っていたお風呂

薩摩藩士による同士討ちである寺田屋事件がはじまった部屋

・・・と説明してきたが、
最近になってこの寺田屋は当時の建物ではないということがはっきりしてきた。
そりゃそうだ。
鳥羽伏見の戦いでこのあたりも焼けちゃっているはずだものね。
この建物はいわゆる復元のようだが、それでも当時の臨場感は十分伝わってきて、
長男は興奮していたよ。
今回、伏見に来たのは長男のリクエストもあったが、
大学の同期Mちゃんに14年ぶりに会うこともその目的であった。
Mちゃんは結婚して数年前から伏見に暮らしているのだ。
待ち合わせはMちゃんの指定で「鳥せい本店」になる。
ここは「神聖」の酒蔵を改築したお店だ。
Mちゃん、私の好みをよくわかってらっしゃる(笑)

当然、お酒は「神聖」しか置いていない。

子どもたちはランチ限定の「とりラーメン」や「焼きとり弁当」などを頼む。
このラーメン、ひとくちもらったが、天一のようなこってり感があって美味い!


カミさんとMちゃんは、とりめし弁当。

私は・・・
酒蔵にいて飲まないわけないでしょ(笑)
お酒に合いそうなものをチョイス。
「鶏皮ポン酢」

お得な昼限定250円メニューから。
「チキン南蛮」と「とりコロッケ」


お酒は「神聖」の純米吟醸から。

そうなると串焼きも食べたくなるのは自然の摂理である。


14年ぶりにあったMちゃんは、カミさんとぺちゃくちゃしゃべっている。
私はそれをいいことにお酒のおかわりをぐびぐびと♪

店をあとにし、もう少し伏見探検をつづける。

通り道に何の気なしに石碑を見たら鳥羽・伏見の戦いの時の「会津藩駐屯地跡」だった。
会津藩の悲劇は、ここ伏見から白河へ、そして会津へと舞台を移していくのだ。

伏見桃山の商店街にある酒屋「油長」。
もともとは油屋だったのでこの屋号らしい。

なかにはカウンターがあって、伏見のお酒を飲むことができるのだが、
ここはスルー。

どうせなら蔵元に直接行こう♪
藤岡酒造を訪問。


「蒼空」ブランドがいまや有名になった。

お土産を買っていこう☆

ここは隣に「酒蔵Barえん」を併設していて、
酒蔵内のタンクを見ながら「蒼空」を飲むことができるのだ。

よし! けーさんに贈ろう。
3本をチョイスして送ってもらう。

そうしたらサービス券がもらえて、それで1杯飲めると言うではないか。
「蒼空 純米吟醸山田錦 おりがらみ」をいただく。
うめーーーー。

最後に鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩の陣が張られた御香宮神社を訪ね、伏見歴史探訪は終了。

学生時代、能の稽古に明け暮れた旧友と昔と変わらぬ楽しいひとときを過ごすことができ、
充実の半日であった。
鳥せい 本店
京都府京都市伏見区上油掛町186
075-622-5533
吟醸酒房 油長
京都府京都市伏見区東大手町780
075-601-0147
藤岡酒造 酒蔵Bar えん
京都府京都市伏見区今町672-1
075-611-4666
まずは京都駅から近鉄に乗る。
関西の私鉄って関東とは違う独特の雰囲気があって、
阪急に乗っても近鉄に乗っても京阪に乗っても、それぞれに味があって楽しくなる♪

近鉄も檀れいなんだね☆
さらにテンションアップ


八幡市駅で男山ケーブルカーに乗り換え、石清水八幡宮のある男山山上へ。

石清水八幡宮と言えば、『徒然草」第五十二段が思い出される。
私は先達に聞いたわけではないが、事前にネットでアクセスを調べたので、
ちゃんとケーブルカーで山の上に登ったのだ(笑)
仁和寺にある法師、年寄るまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりかと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしに過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
仁和寺のお坊さんが長年気にかけていた岩清水への参詣を思い立ち、歩いて向かった。
そして極楽寺・高良神社を拝んで、こんなものかと思って仁和寺へ帰った。
このときお坊さんは山の上に登っていく参詣者の姿を見て、「何だろう」と不思議に思ったが、
岩清水参詣が目的なので山に登らず帰ったというわけだ。
肝心の岩清水は山の上だというのに・・・
ささいなことでも先達のアドバイスに耳を傾けることが肝要だという説話である。
これが仁和寺の法師はたどり着けなかった「石清水八幡宮」だ。
伊勢神宮・賀茂神社(上賀茂神社と下鴨神社)とともに日本三社の一社であるほか、
宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社であるほど社格が高い。

そして、石清水八幡宮のもうひとつの有名スポットが「エジソン記念碑」だ。
なんでこんなところにエジソンの記念碑があるんだ???

エジソンは白熱電球に不可欠なフィラメントの材料として「竹」が最適だと知り、
10万ドルの費用と20人の調査員によって世界中の竹を探し回った。
そのときの調査員のひとりが伊藤博文や山県有朋に面会し「竹なら京都が一番だ」と聞く。
京都に向かい府知事に会うと、「嵯峨野か八幡ならば良質の竹がある」と言われ、
石清水八幡宮の真竹に出会うというわけ。
この八幡の真竹は1200時間という最長点灯記録をもたらし、
以後八幡の竹が19世紀末まで輸出されていたのだ。
いやはやエジソンと日本の思わぬつながりにビックリしたが、
このことを長男がすでに知っていたことにもっとビックリしたよ(汗)
次に向かったのがその長男が行きたいと言っていた伏見だ。
京阪の中書島駅で降り、伏見の街を歩く。
商店街で『テルマエ・ロマエ』に出てきそうなレトロな銭湯発見


十石舟が川に浮かぶ。

伏見といえば、もちろん酒蔵。
こちらは月桂冠だ。

長男が行きたいと言っていたのは「寺田屋」だ。
幕末や新撰組が大好きな長男らしいリクエストだ。

おりょうが龍馬に急を知らせた階段

そのときおりょうが入っていたお風呂

薩摩藩士による同士討ちである寺田屋事件がはじまった部屋

・・・と説明してきたが、
最近になってこの寺田屋は当時の建物ではないということがはっきりしてきた。
そりゃそうだ。
鳥羽伏見の戦いでこのあたりも焼けちゃっているはずだものね。
この建物はいわゆる復元のようだが、それでも当時の臨場感は十分伝わってきて、
長男は興奮していたよ。
今回、伏見に来たのは長男のリクエストもあったが、
大学の同期Mちゃんに14年ぶりに会うこともその目的であった。
Mちゃんは結婚して数年前から伏見に暮らしているのだ。
待ち合わせはMちゃんの指定で「鳥せい本店」になる。
ここは「神聖」の酒蔵を改築したお店だ。
Mちゃん、私の好みをよくわかってらっしゃる(笑)

当然、お酒は「神聖」しか置いていない。

子どもたちはランチ限定の「とりラーメン」や「焼きとり弁当」などを頼む。
このラーメン、ひとくちもらったが、天一のようなこってり感があって美味い!


カミさんとMちゃんは、とりめし弁当。

私は・・・
酒蔵にいて飲まないわけないでしょ(笑)
お酒に合いそうなものをチョイス。
「鶏皮ポン酢」

お得な昼限定250円メニューから。
「チキン南蛮」と「とりコロッケ」


お酒は「神聖」の純米吟醸から。

そうなると串焼きも食べたくなるのは自然の摂理である。


14年ぶりにあったMちゃんは、カミさんとぺちゃくちゃしゃべっている。
私はそれをいいことにお酒のおかわりをぐびぐびと♪

店をあとにし、もう少し伏見探検をつづける。

通り道に何の気なしに石碑を見たら鳥羽・伏見の戦いの時の「会津藩駐屯地跡」だった。
会津藩の悲劇は、ここ伏見から白河へ、そして会津へと舞台を移していくのだ。

伏見桃山の商店街にある酒屋「油長」。
もともとは油屋だったのでこの屋号らしい。

なかにはカウンターがあって、伏見のお酒を飲むことができるのだが、
ここはスルー。

どうせなら蔵元に直接行こう♪
藤岡酒造を訪問。


「蒼空」ブランドがいまや有名になった。

お土産を買っていこう☆

ここは隣に「酒蔵Barえん」を併設していて、
酒蔵内のタンクを見ながら「蒼空」を飲むことができるのだ。

よし! けーさんに贈ろう。
3本をチョイスして送ってもらう。

そうしたらサービス券がもらえて、それで1杯飲めると言うではないか。
「蒼空 純米吟醸山田錦 おりがらみ」をいただく。
うめーーーー。

最後に鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩の陣が張られた御香宮神社を訪ね、伏見歴史探訪は終了。

学生時代、能の稽古に明け暮れた旧友と昔と変わらぬ楽しいひとときを過ごすことができ、
充実の半日であった。
鳥せい 本店
京都府京都市伏見区上油掛町186
075-622-5533
吟醸酒房 油長
京都府京都市伏見区東大手町780
075-601-0147
藤岡酒造 酒蔵Bar えん
京都府京都市伏見区今町672-1
075-611-4666
山崎蒸留所見学を終えて、京都駅前のホテルで家族と合流。
家族は山科でお世話になった友人宅へ遊びに行っていたのだ。
そして、京都駅近くの料理店で夕飯を済ませ、カミさんと子どもたちはホテルへ直帰。
「子どもは早く寝なさい。お父さんはもうひと仕事あるからな。」と
私だけ八条口から高倉塩小路へつながる跨線橋を渡っていく。
最後のひと仕事。
それは無論「〆のラーメン」である。
京都駅近くの東塩小路に店を並んで構える「第一旭」と「新福菜館」は京都でも有名なラーメン店である。
どちらに入ろうかと考えながら、跨線橋を渡っていたが、店の前につくと、「第一旭」は真っ暗。
どうやらお休みのようである。

ということで選択の余地なく「新福菜館」へ入る。
並んでいることもあるお店だが、このときはタイミングよくすんなり店内へ。

ヤキメシも名物なので食べたいところだが、さすがに夕飯を済ませているので、
中華そば+ヤキメシのダブルオーダーはしんどい。

ヤキメシは断念し、中華そば(並)にする。
それでもビール(小)はかかさずに頼む。

来ました!
「新福菜館」の真っ黒スープ★

麺は中太ストレートでこれも独特な麺だ。

「新福菜館」ははじめてたべたが、私には「ハマル」味ではなかったなぁ。

お腹がはち切れそうだ。
ふたたび跨線橋を渡り、八条口の方に引き返す。

歩いたら、甘い物が食べたくなった(笑)
京都駅八条口構内にある「辻利」で抹茶ソフトを閉店ギリギリセーフでゲット!

ホテルに帰ると案の定、子どもとカミさんは爆睡。
私はそっとTVをつけ、ロンドン五輪を見るのであった。
新福菜館本店
京都府京都市下京区東塩小路町569
075-371-7648
家族は山科でお世話になった友人宅へ遊びに行っていたのだ。
そして、京都駅近くの料理店で夕飯を済ませ、カミさんと子どもたちはホテルへ直帰。
「子どもは早く寝なさい。お父さんはもうひと仕事あるからな。」と
私だけ八条口から高倉塩小路へつながる跨線橋を渡っていく。
最後のひと仕事。
それは無論「〆のラーメン」である。
京都駅近くの東塩小路に店を並んで構える「第一旭」と「新福菜館」は京都でも有名なラーメン店である。
どちらに入ろうかと考えながら、跨線橋を渡っていたが、店の前につくと、「第一旭」は真っ暗。
どうやらお休みのようである。

ということで選択の余地なく「新福菜館」へ入る。
並んでいることもあるお店だが、このときはタイミングよくすんなり店内へ。

ヤキメシも名物なので食べたいところだが、さすがに夕飯を済ませているので、
中華そば+ヤキメシのダブルオーダーはしんどい。

ヤキメシは断念し、中華そば(並)にする。
それでもビール(小)はかかさずに頼む。

来ました!
「新福菜館」の真っ黒スープ★

麺は中太ストレートでこれも独特な麺だ。

「新福菜館」ははじめてたべたが、私には「ハマル」味ではなかったなぁ。

お腹がはち切れそうだ。
ふたたび跨線橋を渡り、八条口の方に引き返す。

歩いたら、甘い物が食べたくなった(笑)
京都駅八条口構内にある「辻利」で抹茶ソフトを閉店ギリギリセーフでゲット!

ホテルに帰ると案の定、子どもとカミさんは爆睡。
私はそっとTVをつけ、ロンドン五輪を見るのであった。
新福菜館本店
京都府京都市下京区東塩小路町569
075-371-7648
この日は薄曇り、いまにも雨が降り出しそうな空模様だ。
プチ京都観光で最初に向かったのは「豊国神社」だ。
ここは豊臣秀吉を祀った神社だが、
近くの京都国立博物館や三十三間堂には大勢に観光客が集まっていたが、
裏手のこの神社は静かなものだ。

豊国神社は、秀吉の死後に方広寺の鎮守社として造られたが、
家康によって廃絶され、明治天皇によって再興されたという歴史を持つ。

神社がある地は、元々方広寺の大仏殿があった場所なのだ。

そして、神社に隣接して「方広寺鐘銘事件」で有名な鐘がある。

「大坂冬の陣」のきっかけとなった「君臣豊楽」「国家安康」の文字が
わかりやすいように白くなっている。


そして、大仏殿の石垣の一部が現存している。

さらに、豊国神社の向かいには「耳塚」がある。
秀吉がおこなった朝鮮出兵の際に、
武将たちが戦功として朝鮮人の耳や鼻をそぎ塩漬けにして持ち帰ったものを供養した塚である。

方広寺の鐘も耳塚も、教科書にも必ず出てくるようなところなのに、
表通りから入ったこの一帯は観光客が少ない。
わずかな時間で秀吉から家康の時代が勉強できちゃう場所なのだ。
子どもたちにあれこれ教えながら回っていたら、
「パパがいるとわかりやすい」と長女。
嬉しいじゃないか、この反応☆
気をよくして、もう1カ所だけ行くことにした。
三十三間堂はスルーし、その奥にある「養源院」へ。
ここは秀忠の正室「江」ゆかりの寺院だ。
もとは秀吉の側室の淀君が父である浅井長政の供養のために秀吉に願って建てた寺院だ。
しかし、元和5年に火災で焼失してしまい、2年後に淀殿の妹であるお江によって再興されたのである。

残念ながら撮影禁止なので画像はないが、
このお寺は俵屋宗達直筆の杉戸絵が観られるのがすばらしい。
また、伏見城で自刃した鳥居元忠らの血痕が残る廊下の板が天井に使わ供養されている。
この「血天井」も養源院の見どころだ。

子どもたちの京都歴史散策は午前中が限界。。。
まだまだ回りたいところはあるのだが、
せっかく快方に向かっている「寺アレルギー」が悪化しないように、ここらで切り上げる。
午後は子どもたちの希望を聞き、京都駅近くのイオンモールへ行く。

まずは腹ごしらえとレストラン街に行くと、どこもウエイティング状態。
一番待ちが少なかったお店にする。
「平林亭」というお店だ。

(あとから知ったのだが)創作料理とか居酒屋とかを展開するチェーン店のようだが、
ここはタベホの業態らしい。
すぐに入れそうだったこともあるが、
「かごの屋」でタベホにはまった我が家は、
京都での貴重なランチもなぜかありきたりなタベホにしてしまう。

客の回転がよく、あっという間に入れる。

そして、ものすごい勢いでがっつく。

食べまくる。

どれもまずまずおいしいのだが、いたってフツーで驚きがないのが残念だ。

店内はシンプルというか殺風景というか、
お客さんは埋まっているのにがらーんとした感じ。。。どうなんだろう。。。

やっぱり妥協せずに京都らしいランチにすればよかったなぁと
大いに反省するのであった。
Buffet 平林亭 イオンモールKYOTO
京都市南区西九条鳥居口町1 イオンモールKYOTO4F
075-661-7557
プチ京都観光で最初に向かったのは「豊国神社」だ。
ここは豊臣秀吉を祀った神社だが、
近くの京都国立博物館や三十三間堂には大勢に観光客が集まっていたが、
裏手のこの神社は静かなものだ。

豊国神社は、秀吉の死後に方広寺の鎮守社として造られたが、
家康によって廃絶され、明治天皇によって再興されたという歴史を持つ。

神社がある地は、元々方広寺の大仏殿があった場所なのだ。

そして、神社に隣接して「方広寺鐘銘事件」で有名な鐘がある。

「大坂冬の陣」のきっかけとなった「君臣豊楽」「国家安康」の文字が
わかりやすいように白くなっている。


そして、大仏殿の石垣の一部が現存している。

さらに、豊国神社の向かいには「耳塚」がある。
秀吉がおこなった朝鮮出兵の際に、
武将たちが戦功として朝鮮人の耳や鼻をそぎ塩漬けにして持ち帰ったものを供養した塚である。

方広寺の鐘も耳塚も、教科書にも必ず出てくるようなところなのに、
表通りから入ったこの一帯は観光客が少ない。
わずかな時間で秀吉から家康の時代が勉強できちゃう場所なのだ。
子どもたちにあれこれ教えながら回っていたら、
「パパがいるとわかりやすい」と長女。
嬉しいじゃないか、この反応☆
気をよくして、もう1カ所だけ行くことにした。
三十三間堂はスルーし、その奥にある「養源院」へ。
ここは秀忠の正室「江」ゆかりの寺院だ。
もとは秀吉の側室の淀君が父である浅井長政の供養のために秀吉に願って建てた寺院だ。
しかし、元和5年に火災で焼失してしまい、2年後に淀殿の妹であるお江によって再興されたのである。

残念ながら撮影禁止なので画像はないが、
このお寺は俵屋宗達直筆の杉戸絵が観られるのがすばらしい。
また、伏見城で自刃した鳥居元忠らの血痕が残る廊下の板が天井に使わ供養されている。
この「血天井」も養源院の見どころだ。

子どもたちの京都歴史散策は午前中が限界。。。
まだまだ回りたいところはあるのだが、
せっかく快方に向かっている「寺アレルギー」が悪化しないように、ここらで切り上げる。
午後は子どもたちの希望を聞き、京都駅近くのイオンモールへ行く。

まずは腹ごしらえとレストラン街に行くと、どこもウエイティング状態。
一番待ちが少なかったお店にする。
「平林亭」というお店だ。

(あとから知ったのだが)創作料理とか居酒屋とかを展開するチェーン店のようだが、
ここはタベホの業態らしい。
すぐに入れそうだったこともあるが、
「かごの屋」でタベホにはまった我が家は、
京都での貴重なランチもなぜかありきたりなタベホにしてしまう。

客の回転がよく、あっという間に入れる。

そして、ものすごい勢いでがっつく。

食べまくる。

どれもまずまずおいしいのだが、いたってフツーで驚きがないのが残念だ。

店内はシンプルというか殺風景というか、
お客さんは埋まっているのにがらーんとした感じ。。。どうなんだろう。。。

やっぱり妥協せずに京都らしいランチにすればよかったなぁと
大いに反省するのであった。
Buffet 平林亭 イオンモールKYOTO
京都市南区西九条鳥居口町1 イオンモールKYOTO4F
075-661-7557
夕刻、山科に着く。
私は山科で生活していたわけでなく、家族の元に数度帰宅しただけの場所なのだが、
それでも「帰ってきたなぁ」という気持ちが湧いてくるのは面白いものだ。
家の片付けをサッとしてから、夕飯を食べにふたたび駅前へ。
GWのせいか、いつもより人がたくさん出ているようで、
どのお店も混んでいる。
いくつか目当てのお店があったのだが、
どこも満席でふられてしまった。
結局、「もつ鍋」というワードに惹かれ、「御幸家」に入る。

こちらも店内はお客さんでいっぱいで、裏手の入口から別室に通される。
テレビがあり、トイレも別にあって、表側の店内とはすこし離れているので
騒がしい我が家にとってはうってつけの部屋だ。

もつ鍋ってかつてブームがあったけど、あまり食べたことがないんだよね。
家族の意見を聞くと、味噌派よりも塩派が多かったので、「藤娘」にする。

焼きもん、炙りもん、揚げもんはこんな感じ。

日本酒メニューに京都の地酒もあるが、あまりおもしろみがない。。。

まずはプレモルをいただくことにした。

注文したら、店員さんがスタッフルームのようなところへ入り、
プレモルの瓶を2本小脇に抱えて出てきた。
すると出てきたプレモルはまったく冷えていないではないか。
いま店員さんが抱えていたものだったらしい。
てっきり私に出した瓶で冷蔵庫のプレモルが終わってしまったから、
次のために冷やすのかと思ったよ。
だったら「プレモルは冷えてないんですよ」って一言伝えてくれればいいのになぁ。
そうしたら瓶ビールじゃなく、生ビールにしたのにぃ・・・
テンションが下がる。。。
ぬるぬるプレモルを一気に飲み干し、
よし! もつ鍋だ!
気を取り直して、もつ鍋ということで焼酎に変える♪



近江八幡名物「赤こんにゃく」が入っているよ☆
赤こんにゃくって別に唐辛子が入ったこんにゃくではないんだよね。






ホソ。
これも関西ではよく見かけるホルモンだ。
脂身大好きな私と娘に大好評。


明日はプチ京都観光に行こうと思う。
今や「寺アレルギー」になっている子どもたちをいかにごまかしながら、
私とカミさんが行きたい神社仏閣に連れて行くかがポイントだ。
さてさて、どこへ行きますかね。
御幸家マルマサ
京都市山科区竹鼻竹ノ街道町65-1
075-582-8240
私は山科で生活していたわけでなく、家族の元に数度帰宅しただけの場所なのだが、
それでも「帰ってきたなぁ」という気持ちが湧いてくるのは面白いものだ。
家の片付けをサッとしてから、夕飯を食べにふたたび駅前へ。
GWのせいか、いつもより人がたくさん出ているようで、
どのお店も混んでいる。
いくつか目当てのお店があったのだが、
どこも満席でふられてしまった。
結局、「もつ鍋」というワードに惹かれ、「御幸家」に入る。

こちらも店内はお客さんでいっぱいで、裏手の入口から別室に通される。
テレビがあり、トイレも別にあって、表側の店内とはすこし離れているので
騒がしい我が家にとってはうってつけの部屋だ。

もつ鍋ってかつてブームがあったけど、あまり食べたことがないんだよね。
家族の意見を聞くと、味噌派よりも塩派が多かったので、「藤娘」にする。

焼きもん、炙りもん、揚げもんはこんな感じ。

日本酒メニューに京都の地酒もあるが、あまりおもしろみがない。。。

まずはプレモルをいただくことにした。

注文したら、店員さんがスタッフルームのようなところへ入り、
プレモルの瓶を2本小脇に抱えて出てきた。
すると出てきたプレモルはまったく冷えていないではないか。
いま店員さんが抱えていたものだったらしい。
てっきり私に出した瓶で冷蔵庫のプレモルが終わってしまったから、
次のために冷やすのかと思ったよ。
だったら「プレモルは冷えてないんですよ」って一言伝えてくれればいいのになぁ。
そうしたら瓶ビールじゃなく、生ビールにしたのにぃ・・・
テンションが下がる。。。
ぬるぬるプレモルを一気に飲み干し、
よし! もつ鍋だ!
気を取り直して、もつ鍋ということで焼酎に変える♪



近江八幡名物「赤こんにゃく」が入っているよ☆
赤こんにゃくって別に唐辛子が入ったこんにゃくではないんだよね。






ホソ。
これも関西ではよく見かけるホルモンだ。
脂身大好きな私と娘に大好評。


明日はプチ京都観光に行こうと思う。
今や「寺アレルギー」になっている子どもたちをいかにごまかしながら、
私とカミさんが行きたい神社仏閣に連れて行くかがポイントだ。
さてさて、どこへ行きますかね。
御幸家マルマサ
京都市山科区竹鼻竹ノ街道町65-1
075-582-8240
そして、四条大橋を渡り、錦市場へと足を伸ばす。
カミさんは錦市場ははじめてらしい。

京都の台所である錦市場は歩いているだけで楽しくなる。

たこの頭にうずら卵が入った「たこたまご」を売る店が目立つ。
前からこんなにあったけなぁ?~
とりあえず、1本買って、カミさんと半分こ。

おつけものを買うなら千枚漬発祥の店「大藤」がお気に入りだ。

父が千枚漬が好きなのでお土産に買う。



そして、自分にお土産。
京都や滋賀のお酒が揃う「津之喜酒舗」に入る。

伏見のお酒でお気に入りの「坤滴」を購入。
これもいつものこと。
一升瓶2本抱えて帰ればないので、これは送る。



錦市場の〆は必ず「大安」だ。

焼き牡蠣を2個頼み、「英勲」の純米吟醸1杯をカミさんと半分こ。



大藤でお漬け物を買って、
津之喜酒舗で「坤滴」買って、
大安で焼き牡蠣を食べる。
私が錦市場に来たときのお決まりコースなのであった。
大藤 麩屋町本店
京都市中京区麩屋町通り錦小路下る桝屋町510
0120-02-5975
津之喜酒舗
京都市中京区錦小路通富小路東入東魚屋町194
075-221-2441
大安(牡蠣のだいやす)
京都市中京区錦小路通高倉東入中魚屋町509 京都市錦市場
075-221-0246
カミさんは錦市場ははじめてらしい。

京都の台所である錦市場は歩いているだけで楽しくなる。

たこの頭にうずら卵が入った「たこたまご」を売る店が目立つ。
前からこんなにあったけなぁ?~
とりあえず、1本買って、カミさんと半分こ。

おつけものを買うなら千枚漬発祥の店「大藤」がお気に入りだ。

父が千枚漬が好きなのでお土産に買う。



そして、自分にお土産。
京都や滋賀のお酒が揃う「津之喜酒舗」に入る。

伏見のお酒でお気に入りの「坤滴」を購入。
これもいつものこと。
一升瓶2本抱えて帰ればないので、これは送る。



錦市場の〆は必ず「大安」だ。

焼き牡蠣を2個頼み、「英勲」の純米吟醸1杯をカミさんと半分こ。



大藤でお漬け物を買って、
津之喜酒舗で「坤滴」買って、
大安で焼き牡蠣を食べる。
私が錦市場に来たときのお決まりコースなのであった。
大藤 麩屋町本店
京都市中京区麩屋町通り錦小路下る桝屋町510
0120-02-5975
津之喜酒舗
京都市中京区錦小路通富小路東入東魚屋町194
075-221-2441
大安(牡蠣のだいやす)
京都市中京区錦小路通高倉東入中魚屋町509 京都市錦市場
075-221-0246
京都南座に着く。
大勢の人で賑わっている。

うわっ♪
舞妓さんだ!

私もカミさんも歌舞伎を生で観るのははじめてなのだ。
ワクワクだ。

舞妓さんと一緒に中に。


ずらーーーと、舞妓さんが並んでいる。
お隣のよく来るというおばちゃんに聞いたら、
こんなふうに舞妓さんが座る日は、滅多にないそうだ。
Lucky☆

片岡愛之助の『元禄忠臣蔵』
よかったなぁ~
さて、幕間。
館内でお弁当をとることもできるが、ちょいと表に出てすぐ隣にある鰻屋さんに入った。


梅

小丼

梅と小丼の違いがよくわからなかったが、鰻はやっぱりおいしい。
ウナギの価格高騰が心配だ。
肝吸い

いかん、次がはじまってしまう。
パフェといい、鰻といい、急いで食べる日だ。

中村吉右衛門の演技も素晴らしかった。。。



歌舞伎踊りをはじめた出雲の阿国の像が四条大橋には立っている。



大学時代に能を知り、稽古に明け暮れた4年間。
以来、能はもとより落語や狂言などの古典芸能に親しんできたが、
なぜかこれまで縁がなかった歌舞伎。
はじめて鑑賞したが、むちゃくちゃ面白かった。
歌舞伎にハマル人の気持ちがよくわかった。
伝統芸能にはやはり相応の魅力と歴史の重みがあるから、
いまでも綿々と続いているんだなと
あらためて感じたのだった。
京都 四條 南座
京都市東山区四条大橋東詰
075-561-1155
祇をん 松乃
京都市東山区四条通南座東四軒目
075-561-2786
大勢の人で賑わっている。

うわっ♪
舞妓さんだ!

私もカミさんも歌舞伎を生で観るのははじめてなのだ。
ワクワクだ。

舞妓さんと一緒に中に。


ずらーーーと、舞妓さんが並んでいる。
お隣のよく来るというおばちゃんに聞いたら、
こんなふうに舞妓さんが座る日は、滅多にないそうだ。
Lucky☆

片岡愛之助の『元禄忠臣蔵』
よかったなぁ~
さて、幕間。
館内でお弁当をとることもできるが、ちょいと表に出てすぐ隣にある鰻屋さんに入った。


梅

小丼

梅と小丼の違いがよくわからなかったが、鰻はやっぱりおいしい。
ウナギの価格高騰が心配だ。
肝吸い

いかん、次がはじまってしまう。
パフェといい、鰻といい、急いで食べる日だ。

中村吉右衛門の演技も素晴らしかった。。。



歌舞伎踊りをはじめた出雲の阿国の像が四条大橋には立っている。



大学時代に能を知り、稽古に明け暮れた4年間。
以来、能はもとより落語や狂言などの古典芸能に親しんできたが、
なぜかこれまで縁がなかった歌舞伎。
はじめて鑑賞したが、むちゃくちゃ面白かった。
歌舞伎にハマル人の気持ちがよくわかった。
伝統芸能にはやはり相応の魅力と歴史の重みがあるから、
いまでも綿々と続いているんだなと
あらためて感じたのだった。
京都 四條 南座
京都市東山区四条大橋東詰
075-561-1155
祇をん 松乃
京都市東山区四条通南座東四軒目
075-561-2786
翌日は子どもたちを小学校と幼稚園に送り出したあと、
カミさんと祇園デートだ。
この日の京都南座での歌舞伎のチケットをいただいたのだ。
ホテルに水族館に歌舞伎といただいてばかりだ(笑)
少し早めに出て祇園周辺を散歩する。
八坂の塔

建仁寺
栄西が開いた臨済宗の総本山である。

朝から雪が舞っていた。


建仁寺所蔵といえば俵屋宗達『風神雷神図屏風』が有名だ。
本物は京都国立博物館に寄託されている。

海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵。
これも複製で、本物は京都国立博物館にある。

そして法堂の天井に描かれているダイナミックな『双龍図』。
これを描いた小泉淳作画伯は今年1月に亡くなってしまった。


こちらは大河ドラマ「平清盛」の題字でも知られるダウン症の書家金澤翔子さんが書いた『風神雷神』

建仁寺をあとにし、いわゆる祇園を通って南座を目指す。
これっ!ウインズ!?
さすが祇園の景観を乱さぬよう、溶け込んでいるよ。

やっぱり夜に来てみたいね、祇園は。

太陽が出てきた♪


時計の針は10時20分。
歌舞伎の開演は11時。
しかし、途中の「都路里」で足が止まる。
実は、昨夜京都を出るときに、カミさんはどうしても抹茶パフェを食べたかったのだ。
カミさんにとって京都スイーツと言えば抹茶パフェなのだ。
そこで、JR京都駅内の京都茶寮に行ったが、品切れですでにクローズ。
それではと伊勢丹に入っている「都路里」に行ったら、長蛇の列。
カミさんは超不機嫌になって山科に帰ったのだった。
南座はもうすぐそこだ。
30分あればパフェなぞ完食できるさ。
さすがの超有名「茶寮 都路里 祇園本店」であっても
10時開店まもなくのいまならすぐには入れるのではと、
階段を上がる。
よかった。。。
すんなり座れた。

カミさんは「都路里パフェ」

私はショーウインドーをみた時点で決めていた。
「白川」という抹茶そばと白玉パフェのセット。
漢字は違うが、「しらかわ」だものね。

朝ご飯食べていなかったから、おそばがおいしい。

温かいおそばに冷たいパフェ。
さぞや胃袋はビックリしていたのでは。

速攻20分で平らげる。
そして、カミさんはすっかりご機嫌になったのだった。(ほっ♪)
茶寮 都路里 祇園本店
京都府京都市東山区四条通祇園町南側 573-3
祇園辻利本店 2階
カミさんと祇園デートだ。
この日の京都南座での歌舞伎のチケットをいただいたのだ。
ホテルに水族館に歌舞伎といただいてばかりだ(笑)
少し早めに出て祇園周辺を散歩する。
八坂の塔

建仁寺
栄西が開いた臨済宗の総本山である。

朝から雪が舞っていた。


建仁寺所蔵といえば俵屋宗達『風神雷神図屏風』が有名だ。
本物は京都国立博物館に寄託されている。

海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵。
これも複製で、本物は京都国立博物館にある。

そして法堂の天井に描かれているダイナミックな『双龍図』。
これを描いた小泉淳作画伯は今年1月に亡くなってしまった。


こちらは大河ドラマ「平清盛」の題字でも知られるダウン症の書家金澤翔子さんが書いた『風神雷神』

建仁寺をあとにし、いわゆる祇園を通って南座を目指す。
これっ!ウインズ!?
さすが祇園の景観を乱さぬよう、溶け込んでいるよ。

やっぱり夜に来てみたいね、祇園は。

太陽が出てきた♪


時計の針は10時20分。
歌舞伎の開演は11時。
しかし、途中の「都路里」で足が止まる。
実は、昨夜京都を出るときに、カミさんはどうしても抹茶パフェを食べたかったのだ。
カミさんにとって京都スイーツと言えば抹茶パフェなのだ。
そこで、JR京都駅内の京都茶寮に行ったが、品切れですでにクローズ。
それではと伊勢丹に入っている「都路里」に行ったら、長蛇の列。
カミさんは超不機嫌になって山科に帰ったのだった。
南座はもうすぐそこだ。
30分あればパフェなぞ完食できるさ。
さすがの超有名「茶寮 都路里 祇園本店」であっても
10時開店まもなくのいまならすぐには入れるのではと、
階段を上がる。
よかった。。。
すんなり座れた。

カミさんは「都路里パフェ」

私はショーウインドーをみた時点で決めていた。
「白川」という抹茶そばと白玉パフェのセット。
漢字は違うが、「しらかわ」だものね。

朝ご飯食べていなかったから、おそばがおいしい。

温かいおそばに冷たいパフェ。
さぞや胃袋はビックリしていたのでは。

速攻20分で平らげる。
そして、カミさんはすっかりご機嫌になったのだった。(ほっ♪)
茶寮 都路里 祇園本店
京都府京都市東山区四条通祇園町南側 573-3
祇園辻利本店 2階
そして、大阪で3月11日の朝を迎える。
梅田駅構内のフツーの喫茶店でモーニングを食べ、そこで兄夫婦とは大阪で別れる。
ばるファミリーは京都へ戻る。
京都市から京都水族館の内覧会の招待券をいただいたのだ。
京都水族館は梅小路公園内にある。

京都水族館は内陸の水族館としては日本一の規模らしい。

14日の開館より一足早く入れるとはちょっとVIPな気分♪




水族館って好きなんだよなぁ。

でかっ!
フライにできるかなとか、刺身にしたら何人前になるんだろうとか、
不謹慎なことを思う。


イルカショーもやっているのだ。


内覧会とはいえ、すごい人混みで大変だった。
水族館前にある看板。

ここは西八条第跡。
平清盛の邸宅があった場所なのだ。

大河ドラマで「平清盛」をやっていても、
この看板に気づく人はあまりいないんだろうなぁ。

そして、梅小路に来たら「蒸気機関車館」に寄らなきゃね。
私は小学生のときに来て以来だ。
旧二条駅舎が入口になっている。
元鉄道ファンの血が騒ぐ。

ターンテーブルと扇形の蒸気機関車庫が美しい。
しかし、アメリカが京都に原爆を落とそうと計画したとき、
このターンテーブルこそその標的にしようとしたのだ。
上空からターンテーブルはわかりやすいからだ。

体験乗車ということで、D51が短い距離ではあるが実際に走る。
汽笛と煙、蒸気に興奮する。




かつてSLやまぐち号に乗りたくて、寝台特急あさかぜで小郡まで行ったなぁ。
西武山口線にもSLが走っていた時代が懐かしい。
おっ、いけない!
2時46分が近づいている。
急いで蒸気機関車館をあとにするのだった。
京都水族館
京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
075-354-3130
梅小路蒸気機関車館
京都府京都市下京区梅小路頭町10
075-314-2996
梅田駅構内のフツーの喫茶店でモーニングを食べ、そこで兄夫婦とは大阪で別れる。
ばるファミリーは京都へ戻る。
京都市から京都水族館の内覧会の招待券をいただいたのだ。
京都水族館は梅小路公園内にある。

京都水族館は内陸の水族館としては日本一の規模らしい。

14日の開館より一足早く入れるとはちょっとVIPな気分♪




水族館って好きなんだよなぁ。

でかっ!
フライにできるかなとか、刺身にしたら何人前になるんだろうとか、
不謹慎なことを思う。


イルカショーもやっているのだ。


内覧会とはいえ、すごい人混みで大変だった。
水族館前にある看板。

ここは西八条第跡。
平清盛の邸宅があった場所なのだ。

大河ドラマで「平清盛」をやっていても、
この看板に気づく人はあまりいないんだろうなぁ。

そして、梅小路に来たら「蒸気機関車館」に寄らなきゃね。
私は小学生のときに来て以来だ。
旧二条駅舎が入口になっている。
元鉄道ファンの血が騒ぐ。

ターンテーブルと扇形の蒸気機関車庫が美しい。
しかし、アメリカが京都に原爆を落とそうと計画したとき、
このターンテーブルこそその標的にしようとしたのだ。
上空からターンテーブルはわかりやすいからだ。

体験乗車ということで、D51が短い距離ではあるが実際に走る。
汽笛と煙、蒸気に興奮する。




かつてSLやまぐち号に乗りたくて、寝台特急あさかぜで小郡まで行ったなぁ。
西武山口線にもSLが走っていた時代が懐かしい。
おっ、いけない!
2時46分が近づいている。
急いで蒸気機関車館をあとにするのだった。
京都水族館
京都市下京区観喜寺町35-1(梅小路公園内)
075-354-3130
梅小路蒸気機関車館
京都府京都市下京区梅小路頭町10
075-314-2996