Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
指宿から鹿児島市内まで渋滞もあり予想以上にかかってしまったが、
11時過ぎに加治屋町に到着。
この加治屋町は明治の偉人を多く輩出した町だ。
もともと薩摩藩の下級武士が暮らす地域だったので、
西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などがこの地で生誕している。
まずは西郷どんの生誕の地。


この石碑のすぐそばに「維新ふるさと館」があり、
鹿児島の幕末から近代にかけての歴史を学ぶことができる。
ここで父が持っていた「薩摩大使」の名刺が効力を発揮し、
全員入館無料になる。
ちゃんと使えたんだね、この名刺(笑)
ここにも大河ドラマ『篤姫』で篤姫の宮崎あおいと和宮の堀北真希の着物が飾られていた。

歴史大好き長男は、まだまだ見足りなそうだったが、
「維新ふるさと館」は小一時間で出る。
そしてすぐそばの「大久保利通 生い立ちの地」もちょこっと見学。

西郷と大久保、幼なじみの親友は、明治国家建設の過程でお互い違う道を歩み、
最後は西南戦争で敵となってしまう。
その西郷が明治政府軍に追い詰められ身を潜めていた城山の「西郷洞窟」に行く。

この洞窟は城山展望台に登っていく道路の途中にあり、
大型バスが停められない。
修学旅行などではたいてい車窓からちらっと観るだけで終わってしまうのだ。
よく勘違いするのだが、西郷が自決したのはこの洞窟内ではない。
終焉の地はこの洞窟から数百メートル下った場所にある。

正午を回り、かなり日差しが強くなってきた。
よーし、そろそろ鹿児島名物を食べちゃいますか♪♪♪
いまやすっかり鹿児島名物となった「しろくま」。
東京のコンビニでも売っているので、もはや全国区の知名度だ。
しかし、コンビニのしろくまはしろくまじゃない。
本場鹿児島で食べないと。。。
ところが「白熊」ではなく「黄熊」が名物の「彼女の家」に入る。


このお店名物の「黄熊」は、マンゴーの果肉とマンゴーソース、そこに練乳がかかっているのだ。
店に入ると、どの席でも黄熊を頼んでいるが、2つ以上頼んでいる席はない。
高さ25センチの黄熊には取り皿がちゃんとついてくるので、
グループで仲良く食べられるというわけだ。
その前にパスタもしっかりいただく。




そして、いよいよ黄熊の登場!

どこから食べ出したらいいんだ(笑)

でも、食べ始めたらあっという間。
もうひとついけたな。
父だって物足りなそうな表情していたしね(笑)
そして、空港に向かいながら最後に立ち寄ったのがココ。
野球場。

・・・ではなく、そのそばにある「ザビエル上陸記念碑」だ。

1549年、フランシスコ=ザビエルはマラッカで出会ったアンジロー(鹿児島出身)を伴い、
薩摩国祇園之洲に上陸。
そのことを記念した石碑である。

ザビエル、ペリー、マッカーサー、
日本の歴史のターニングポイントには必ず外国人が登場する。

どうでもいいことだが、
スミス、クロマティー、呂明賜、
私のジャイアンツの歴史での印象深い外国人だ(笑)
話しを戻そう。
ザビエルは鹿児島で布教活動をしたのち、京都にまで上るが、
将軍とは謁見できず、失意のなか山口、豊後へと移り、
1551年には日本を離れインドへと旅立っている。

桜島の雄大な姿を目に焼き付ける。
父も「桜島はやはりいいなぁ」と感慨深げだ。

3日間お世話になったレンタカーを返し、空港でフライトを待つ。
空港内の「山形屋」に入り、
ドライバーからようやく解放されたので、早速ビールをいただく☆

黄熊じゃ満足できなかったらしく、父とカミさんはしろくまを食べている。
恐るべし85歳。。。
私のアイス好きは父譲りなのだ。
こっちが父のミニしろくま。

こっちはカミさんの通常しろくま。

私はおやつでとんこつラーメン。
別府温泉センターの方が美味かったぞ。

そして、無事に帰京。
空港から石神井公園駅まではリムジンバスに乗って1時間ほどで到着。
値段は1300円で電車よりは高いが、最寄り駅まで座って帰れて楽チンだ。
足が疲れやすい父も「あのバスはよかった、あのバスはよかった」と喜んでいた。
父は久々の里帰りに大満足だったようだ。
旅行直前は長旅を不安がっていたが、父のペースにあわせた無理のない行程で
ゆっくり回れたのがよかったのだろう。
鹿児島の海を親父に見せたかったし、
おじいちゃんのふるさとを子ども達にも見せたかった。
少しは親孝行できたかなと思えるいい旅となったのだ◎
カフェ彼女の家
鹿児島県鹿児島市 8−18
099-223-2888
エアポート山形屋
鹿児島県霧島市溝辺町麓822番地鹿児島空港 国内線2階南側
0995-58-2275
11時過ぎに加治屋町に到着。
この加治屋町は明治の偉人を多く輩出した町だ。
もともと薩摩藩の下級武士が暮らす地域だったので、
西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎などがこの地で生誕している。
まずは西郷どんの生誕の地。


この石碑のすぐそばに「維新ふるさと館」があり、
鹿児島の幕末から近代にかけての歴史を学ぶことができる。
ここで父が持っていた「薩摩大使」の名刺が効力を発揮し、
全員入館無料になる。
ちゃんと使えたんだね、この名刺(笑)
ここにも大河ドラマ『篤姫』で篤姫の宮崎あおいと和宮の堀北真希の着物が飾られていた。

歴史大好き長男は、まだまだ見足りなそうだったが、
「維新ふるさと館」は小一時間で出る。
そしてすぐそばの「大久保利通 生い立ちの地」もちょこっと見学。

西郷と大久保、幼なじみの親友は、明治国家建設の過程でお互い違う道を歩み、
最後は西南戦争で敵となってしまう。
その西郷が明治政府軍に追い詰められ身を潜めていた城山の「西郷洞窟」に行く。

この洞窟は城山展望台に登っていく道路の途中にあり、
大型バスが停められない。
修学旅行などではたいてい車窓からちらっと観るだけで終わってしまうのだ。
よく勘違いするのだが、西郷が自決したのはこの洞窟内ではない。
終焉の地はこの洞窟から数百メートル下った場所にある。

正午を回り、かなり日差しが強くなってきた。
よーし、そろそろ鹿児島名物を食べちゃいますか♪♪♪
いまやすっかり鹿児島名物となった「しろくま」。
東京のコンビニでも売っているので、もはや全国区の知名度だ。
しかし、コンビニのしろくまはしろくまじゃない。
本場鹿児島で食べないと。。。
ところが「白熊」ではなく「黄熊」が名物の「彼女の家」に入る。


このお店名物の「黄熊」は、マンゴーの果肉とマンゴーソース、そこに練乳がかかっているのだ。
店に入ると、どの席でも黄熊を頼んでいるが、2つ以上頼んでいる席はない。
高さ25センチの黄熊には取り皿がちゃんとついてくるので、
グループで仲良く食べられるというわけだ。
その前にパスタもしっかりいただく。




そして、いよいよ黄熊の登場!

どこから食べ出したらいいんだ(笑)

でも、食べ始めたらあっという間。
もうひとついけたな。
父だって物足りなそうな表情していたしね(笑)
そして、空港に向かいながら最後に立ち寄ったのがココ。
野球場。

・・・ではなく、そのそばにある「ザビエル上陸記念碑」だ。

1549年、フランシスコ=ザビエルはマラッカで出会ったアンジロー(鹿児島出身)を伴い、
薩摩国祇園之洲に上陸。
そのことを記念した石碑である。

ザビエル、ペリー、マッカーサー、
日本の歴史のターニングポイントには必ず外国人が登場する。

どうでもいいことだが、
スミス、クロマティー、呂明賜、
私のジャイアンツの歴史での印象深い外国人だ(笑)
話しを戻そう。
ザビエルは鹿児島で布教活動をしたのち、京都にまで上るが、
将軍とは謁見できず、失意のなか山口、豊後へと移り、
1551年には日本を離れインドへと旅立っている。

桜島の雄大な姿を目に焼き付ける。
父も「桜島はやはりいいなぁ」と感慨深げだ。

3日間お世話になったレンタカーを返し、空港でフライトを待つ。
空港内の「山形屋」に入り、
ドライバーからようやく解放されたので、早速ビールをいただく☆

黄熊じゃ満足できなかったらしく、父とカミさんはしろくまを食べている。
恐るべし85歳。。。
私のアイス好きは父譲りなのだ。
こっちが父のミニしろくま。

こっちはカミさんの通常しろくま。

私はおやつでとんこつラーメン。
別府温泉センターの方が美味かったぞ。

そして、無事に帰京。
空港から石神井公園駅まではリムジンバスに乗って1時間ほどで到着。
値段は1300円で電車よりは高いが、最寄り駅まで座って帰れて楽チンだ。
足が疲れやすい父も「あのバスはよかった、あのバスはよかった」と喜んでいた。
父は久々の里帰りに大満足だったようだ。
旅行直前は長旅を不安がっていたが、父のペースにあわせた無理のない行程で
ゆっくり回れたのがよかったのだろう。
鹿児島の海を親父に見せたかったし、
おじいちゃんのふるさとを子ども達にも見せたかった。
少しは親孝行できたかなと思えるいい旅となったのだ◎
カフェ彼女の家
鹿児島県鹿児島市 8−18
099-223-2888
エアポート山形屋
鹿児島県霧島市溝辺町麓822番地鹿児島空港 国内線2階南側
0995-58-2275
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島美人の瓶を見たら、ほとんど減っていない。
つけあげも残っている。
どうやらすぐに轟沈してしまったようだ。
今日は一日中薩摩半島をドライブの予定だ。
まずは朝の桜島を眺めながら朝風呂に入り、スッキリ!
AKBのかしゆきが鹿児島出身だったとは知らなかった。
しかも「薩摩大使」になっていたとは。

そしたら父が「私も薩摩大使だよ」ってこんな名刺を出してきた。
すごっ!

有川浩の『県庁おもてなし課』でも
舞台となっている高知県の観光PRのため「観光大使」を県ゆかりの人にお願いして
名刺を配るという話しが出てくる。
まさか身内に「大使」がいたとは、ビックリ!
朝食はフツーのバイキング。
朝は抑えめに。。。

ホテルのそばに「坂本龍馬新婚の旅碑」があった。

龍馬はおりょうと霧島温泉や鹿児島市内を旅しているのだ。
これが日本初の新婚旅行と言われている。

ちなみに私の新婚旅行は諸般の事情があり、
「日光1泊2日」という現代ではあり得ないものになってしまった。
いまだにカミさんには恨まれているはずだ。。。
叔父と叔母とはここで別れ、我々は知覧へと向かう。
復元された富屋食堂。
多くの特攻隊員を見守ってきた“特攻の母”鳥濱トメさんの食堂だ。

そして子ども達をどうしても連れてきたかった知覧特攻平和会館。
ゴールデンウィークということもあって、大混雑。
知覧もすっかり有名になったものだ。

復元された三角兵舎

ここで特攻隊員は出撃を待ったのだ。
どんな思いであったのだろう。

特攻隊員の遺書は涙なしでは読めない。

いまの政治の進みようには少なからず不安を覚えている私だが、
ここを訪ねて、いまいちど平和の大切さを考え直すのだった。
小学生低学年の次男坊には難しかったようだが、
子ども達も何かを感じてくれればいい。
さて、知覧はお茶の産地としても有名。
抹茶ソフトを当然食べちゃう♪

茶畑の向こうに開聞岳が見えてきた。
車は枕崎に向かう。

枕崎に到着。
鰹節で有名な枕崎。
うまいカツオでも食べようかと思ったら、この日は「かつお祭り」をやっていて駐車場もいっぱい。
人気店は行列。。。
枕崎での昼食を断念する。
鑑真上陸の坊津を目指そうかと思ったが、
この日泊まる指宿とは逆方向なので、坊津もあきらめ、
薩摩半島を東に進む。
途中のどこかでお昼ご飯を食べようかと安易に考えていたら、
食堂もレストランもなんも出てこない・・・
子ども達からは「おなかすいたーーーー」の大合唱。
ようやく見つけたのが別府温泉センターという公共温泉内にあるちっぽけな食堂。

一同「大丈夫か?」という気持ちを抱きながら、お店に入る。


ところが最初に出てきた長男の唐揚げ定食を見て、「大丈夫かも!」と一同思う。
揚げたて唐揚げににゅーめんがついて500円も激安だ。
長男から唐揚げ一口もらったがジューシーで美味しい。

次男の別府うどんも出汁がおいしい。
350円って、富士そばでトッピングするより安いんじゃないの(笑)

私はなんこつラーメン。
なんとなく名物ぽかったから選んでみた。
このなんこつ絶品! 鹿児島らしいなんこつだ。
スープもおいしい。
麺はフツーの既製品で残念だが、630円だから十分満足だ。

期待値が低かったこともあり、
予想外に大満足の昼食であった。
別府温泉の少し先に行くと、「番所鼻」がある。
ここは、かの伊能忠敬が「蓋し天下の絶景」と記したほどの名所である。

この石の橋は、火山活動による柔らかい地層部分が
海の浸食作用によって空洞化・陥没してできたものだそうだ。
ほぼ自然のままで海の中に池があるかの様なこうした地形は全国的にも珍しいものらしい。
干潮時には歩くこともできるのだ。
天気もいいし、潮も引いているので、みんなで歩いてみた。
キモチイイー♪
この先にある「長崎鼻」は有名だが、
この「番所鼻」は意外と知られていないようで、
あとで聞いたら叔父・叔母も知らなかった。
磯遊びもできるし、子ども達も大はしゃぎ。
ここはアタリだったな。
この石碑の揮毫は鳩山一郎によるものだ。

ふたたび車を指宿へと走らせる。
途中に駐車場があり、ビューポイント発見☆
車を停め、少し散策。

与謝野鉄幹・晶子夫妻がこの地で歌を詠んでいる。

開聞岳が接近。見事なまでの円錐形をした山だ。
「薩摩富士」とも言われる開聞岳に別れを告げて、特攻隊員はこの空を飛んでいった。

日本百名山は1000m以上が原則らしいが、
1000m以下の山で百名山に選ばれているのは筑波山と開聞岳の2つだけだそうだ。
そして、西大山駅に到着。
実は私が今回の旅で一番行ってみたかったところ。

ここはJR日本最南端の駅なのだ。
かつては「JR」という枕詞はつかなかったのだが、
沖縄県にゆいレールができたため、「JR」がついたのだ。

無人駅だし、こんなところにわざわざやって来る人はいないだろう・・・
と思ったら、
観光バスは停まっているわ、
「JR日本最南端の駅」という標柱での記念写真に並んでいるわ、
駅前には物産店が新装開店しているわ、ものすごく賑わっている。

でも、その物産店のなかでこの証明書を100円で売っていたことを知る人は少なかったようで、
誰も買っていない。

ちょっとドヤ顔な私。

そして、高齢の父が疲れないようにと指宿のホテルに早めのチェックイン。
オーシャンビューだ。


じいちゃん、ばあちゃんが温泉に入っている間に
私たち家族はホテル内のボーリング場で勝負!
平然とターキーを出す私。
「パパすごーい!」の声にまたドヤ顔。
そして、夕食。
危険なバイキングだ。。。


どんだけ食べたかはお見せできない(笑)

指宿は篤姫が生まれたと地。
宮崎あおいが大河ドラマで着た衣装が飾られていた。

夕食後は指宿名物「砂蒸し風呂」も体験。
デトックス効果でスッキリと言いたいが、
その前に体内に入れた量が多すぎた。。。苦しい。。。
翌朝、ホテル周辺を少し散歩する。


3日目は、鹿児島市内を見物して東京へと帰るのだ。
つけあげも残っている。
どうやらすぐに轟沈してしまったようだ。
今日は一日中薩摩半島をドライブの予定だ。
まずは朝の桜島を眺めながら朝風呂に入り、スッキリ!
AKBのかしゆきが鹿児島出身だったとは知らなかった。
しかも「薩摩大使」になっていたとは。

そしたら父が「私も薩摩大使だよ」ってこんな名刺を出してきた。
すごっ!

有川浩の『県庁おもてなし課』でも
舞台となっている高知県の観光PRのため「観光大使」を県ゆかりの人にお願いして
名刺を配るという話しが出てくる。
まさか身内に「大使」がいたとは、ビックリ!
![]() | 県庁おもてなし課 (2011/03/29) 有川 浩 商品詳細を見る |
朝食はフツーのバイキング。
朝は抑えめに。。。

ホテルのそばに「坂本龍馬新婚の旅碑」があった。

龍馬はおりょうと霧島温泉や鹿児島市内を旅しているのだ。
これが日本初の新婚旅行と言われている。

ちなみに私の新婚旅行は諸般の事情があり、
「日光1泊2日」という現代ではあり得ないものになってしまった。
いまだにカミさんには恨まれているはずだ。。。
叔父と叔母とはここで別れ、我々は知覧へと向かう。
復元された富屋食堂。
多くの特攻隊員を見守ってきた“特攻の母”鳥濱トメさんの食堂だ。

そして子ども達をどうしても連れてきたかった知覧特攻平和会館。
ゴールデンウィークということもあって、大混雑。
知覧もすっかり有名になったものだ。

復元された三角兵舎

ここで特攻隊員は出撃を待ったのだ。
どんな思いであったのだろう。

特攻隊員の遺書は涙なしでは読めない。

いまの政治の進みようには少なからず不安を覚えている私だが、
ここを訪ねて、いまいちど平和の大切さを考え直すのだった。
小学生低学年の次男坊には難しかったようだが、
子ども達も何かを感じてくれればいい。
さて、知覧はお茶の産地としても有名。
抹茶ソフトを当然食べちゃう♪

茶畑の向こうに開聞岳が見えてきた。
車は枕崎に向かう。

枕崎に到着。
鰹節で有名な枕崎。
うまいカツオでも食べようかと思ったら、この日は「かつお祭り」をやっていて駐車場もいっぱい。
人気店は行列。。。
枕崎での昼食を断念する。
鑑真上陸の坊津を目指そうかと思ったが、
この日泊まる指宿とは逆方向なので、坊津もあきらめ、
薩摩半島を東に進む。
途中のどこかでお昼ご飯を食べようかと安易に考えていたら、
食堂もレストランもなんも出てこない・・・
子ども達からは「おなかすいたーーーー」の大合唱。
ようやく見つけたのが別府温泉センターという公共温泉内にあるちっぽけな食堂。

一同「大丈夫か?」という気持ちを抱きながら、お店に入る。


ところが最初に出てきた長男の唐揚げ定食を見て、「大丈夫かも!」と一同思う。
揚げたて唐揚げににゅーめんがついて500円も激安だ。
長男から唐揚げ一口もらったがジューシーで美味しい。

次男の別府うどんも出汁がおいしい。
350円って、富士そばでトッピングするより安いんじゃないの(笑)

私はなんこつラーメン。
なんとなく名物ぽかったから選んでみた。
このなんこつ絶品! 鹿児島らしいなんこつだ。
スープもおいしい。
麺はフツーの既製品で残念だが、630円だから十分満足だ。

期待値が低かったこともあり、
予想外に大満足の昼食であった。
別府温泉の少し先に行くと、「番所鼻」がある。
ここは、かの伊能忠敬が「蓋し天下の絶景」と記したほどの名所である。

この石の橋は、火山活動による柔らかい地層部分が
海の浸食作用によって空洞化・陥没してできたものだそうだ。
ほぼ自然のままで海の中に池があるかの様なこうした地形は全国的にも珍しいものらしい。
干潮時には歩くこともできるのだ。
天気もいいし、潮も引いているので、みんなで歩いてみた。
キモチイイー♪
この先にある「長崎鼻」は有名だが、
この「番所鼻」は意外と知られていないようで、
あとで聞いたら叔父・叔母も知らなかった。
磯遊びもできるし、子ども達も大はしゃぎ。
ここはアタリだったな。
この石碑の揮毫は鳩山一郎によるものだ。

ふたたび車を指宿へと走らせる。
途中に駐車場があり、ビューポイント発見☆
車を停め、少し散策。

与謝野鉄幹・晶子夫妻がこの地で歌を詠んでいる。

開聞岳が接近。見事なまでの円錐形をした山だ。
「薩摩富士」とも言われる開聞岳に別れを告げて、特攻隊員はこの空を飛んでいった。

日本百名山は1000m以上が原則らしいが、
1000m以下の山で百名山に選ばれているのは筑波山と開聞岳の2つだけだそうだ。
そして、西大山駅に到着。
実は私が今回の旅で一番行ってみたかったところ。

ここはJR日本最南端の駅なのだ。
かつては「JR」という枕詞はつかなかったのだが、
沖縄県にゆいレールができたため、「JR」がついたのだ。

無人駅だし、こんなところにわざわざやって来る人はいないだろう・・・
と思ったら、
観光バスは停まっているわ、
「JR日本最南端の駅」という標柱での記念写真に並んでいるわ、
駅前には物産店が新装開店しているわ、ものすごく賑わっている。

でも、その物産店のなかでこの証明書を100円で売っていたことを知る人は少なかったようで、
誰も買っていない。

ちょっとドヤ顔な私。

そして、高齢の父が疲れないようにと指宿のホテルに早めのチェックイン。
オーシャンビューだ。


じいちゃん、ばあちゃんが温泉に入っている間に
私たち家族はホテル内のボーリング場で勝負!
平然とターキーを出す私。
「パパすごーい!」の声にまたドヤ顔。
そして、夕食。
危険なバイキングだ。。。


どんだけ食べたかはお見せできない(笑)

指宿は篤姫が生まれたと地。
宮崎あおいが大河ドラマで着た衣装が飾られていた。

夕食後は指宿名物「砂蒸し風呂」も体験。
デトックス効果でスッキリと言いたいが、
その前に体内に入れた量が多すぎた。。。苦しい。。。
翌朝、ホテル周辺を少し散歩する。


3日目は、鹿児島市内を見物して東京へと帰るのだ。
1時間45分のフライトで鹿児島空港に到着。
鹿児島空港は市内から離れた霧島市に位置する。
レンタカーを借りて、父の故郷串木野を目指す。
高速で1時間くらいで到着。
叔母夫婦と再会し、近くのお寺さんへに出かけ祖母の墓参りだ。

急遽、ご住職が読経をしてくださり、いい供養ができた。
20年前に99で亡くなった祖母はいつも優しかった。
ごめんね、ばあちゃん。ようやく墓参りできたよ。

そして、すぐそばの照島神社へ。

照島海岸は浜競馬でも有名だ。

この小さな島に薩摩焼の開祖が着船したという。
さらに古くは秦の始皇帝から不老長寿の霊薬を探してくるように命じられた徐福が
この地にたどり着いたという伝説もある島なのだ。

このすぐそばに父の生家があり、
父は少年時代この神社にいつもお詣りし、勉学に励んだという。

子どもたちとともにお詣りする。

島の向こう側には鹿児島のきれいな海が広がっていた。

照島神社をあとにし、お次は勘場蒲鉾店へ。

漁港である串木野は「つけあげ」発祥の地なのだ。

「つけあげ」とは「薩摩揚げ」のこと。
本場のつけあげは東京で売っているような薩摩揚げとはまったく違い、
柔らく、甘いのだ。

自宅用に購入。
私は「つけあげ」を少しだけチンしてそのままかぶりつくのが好きだ。
しばらく晩酌のアテには困らなそうだ♪

串木野を離れ、叔母夫婦共々鹿児島市内へと車を走らせる。
この日はホテルに一緒に泊まるのだ。
夕食はホテル内の日本料理屋へ。

さすが鹿児島。
鹿児島で「酒」といえばそれは「芋焼酎」のこと。




普段、和食には日本酒というのが私のスタイルだが、
ここは鹿児島。
Do in Kagoshima as the Kagoshimans do
叔父がすすめる「島美人」をボトルでいれる。



カミさんは蒼井優のポスターを見て一番搾りツートンを飲みたいと言い出す。

リンゴジュースとのツートンなのだが、リンゴじゃさっぱりわからん(笑)




部屋に帰って、蒲鉾店でサービスでもらったつけあげをつまみに「島美人」を飲み直す。
芋焼酎もたまには美味いのう。

翌朝、桜島から上る日の出を拝もうと思ったのに、
「島美人」が効き過ぎて、起きたらもう日は昇っていたのだ。

失敗、失敗。。。
鹿児島空港は市内から離れた霧島市に位置する。
レンタカーを借りて、父の故郷串木野を目指す。
高速で1時間くらいで到着。
叔母夫婦と再会し、近くのお寺さんへに出かけ祖母の墓参りだ。

急遽、ご住職が読経をしてくださり、いい供養ができた。
20年前に99で亡くなった祖母はいつも優しかった。
ごめんね、ばあちゃん。ようやく墓参りできたよ。

そして、すぐそばの照島神社へ。

照島海岸は浜競馬でも有名だ。

この小さな島に薩摩焼の開祖が着船したという。
さらに古くは秦の始皇帝から不老長寿の霊薬を探してくるように命じられた徐福が
この地にたどり着いたという伝説もある島なのだ。

このすぐそばに父の生家があり、
父は少年時代この神社にいつもお詣りし、勉学に励んだという。

子どもたちとともにお詣りする。

島の向こう側には鹿児島のきれいな海が広がっていた。

照島神社をあとにし、お次は勘場蒲鉾店へ。

漁港である串木野は「つけあげ」発祥の地なのだ。

「つけあげ」とは「薩摩揚げ」のこと。
本場のつけあげは東京で売っているような薩摩揚げとはまったく違い、
柔らく、甘いのだ。

自宅用に購入。
私は「つけあげ」を少しだけチンしてそのままかぶりつくのが好きだ。
しばらく晩酌のアテには困らなそうだ♪

串木野を離れ、叔母夫婦共々鹿児島市内へと車を走らせる。
この日はホテルに一緒に泊まるのだ。
夕食はホテル内の日本料理屋へ。

さすが鹿児島。
鹿児島で「酒」といえばそれは「芋焼酎」のこと。




普段、和食には日本酒というのが私のスタイルだが、
ここは鹿児島。
Do in Kagoshima as the Kagoshimans do
叔父がすすめる「島美人」をボトルでいれる。



カミさんは蒼井優のポスターを見て一番搾りツートンを飲みたいと言い出す。

リンゴジュースとのツートンなのだが、リンゴじゃさっぱりわからん(笑)




部屋に帰って、蒲鉾店でサービスでもらったつけあげをつまみに「島美人」を飲み直す。
芋焼酎もたまには美味いのう。

翌朝、桜島から上る日の出を拝もうと思ったのに、
「島美人」が効き過ぎて、起きたらもう日は昇っていたのだ。

失敗、失敗。。。