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八重の桜を旅する⑫ 【蓮家寺・馬場都都古和氣神社@棚倉町】

「とら食堂」を出て、一路棚倉へ。

戊辰戦争関連の名所を巡るためだ。

まずは「蓮家寺(れんげじ)」へ。
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震災の影響で山門は木材で補強されている。
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蓮家寺は慶長8(1603)年、
この地を支配した徳川家康の代官彦坂小刑部の家臣念仏信者の蓮池主水と糟家彌兵衛が、
この地に浄土宗の寺がないことから、塙の僧秀哲上人を招き精舍を建立したことに始まる。

初めは阿弥陀寺と言ったが、間もなく開創の施主両氏の一字ずつをとり、蓮家寺となった。

その後は、棚倉城主となった内藤豊前守信照を筆頭に内藤家が厚く守り、
また徳川家光以後、7代の将軍からの庇護をうけ、
江戸時代には三門、本堂、鐘楼、観音堂、常念佛堂、十王堂、地蔵堂の
伽藍が整う壮大な寺院となり、棚倉城下の中心寺院となった。

浄土宗ホームページより


白河口の戦いで総督府参謀を務めた板垣退助が小峰城落城後、6月24日に棚倉城に進軍。
棚倉城は1日で陥落し、板垣退助はこの蓮家寺に1ヶ月ほど陣を置き、
落城後の戦後処理にあたったという。
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「弔魂の碑」
本来は「忠魂」とするのが常だが、
戊辰戦争に破れた棚倉藩は新政府軍への配慮から「弔」の字を用いた。
この石碑の揮毫は棚倉藩主阿部正功によるものだ。
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蓮家寺の銅鐘も古いもので、
正保4年(1647)、蓮家寺4世住職の尊譽上人の時に、
藩主の内藤豊前守信照公が寄進した銅鐘だそうだ。

鐘楼も建立当時のままで、貴重な江戸時代初期の建造物だったらしいが、震災で損壊し、
これは新しく建てられた鐘楼のようだ。
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これは以前の鐘楼の一部だろうか?
何だろう?どなたか教えてください。
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徳川将軍家から代々庇護を受けていたようだから、葵のご紋なのかな?
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土佐藩の足軽(公文力之介)の墓もある。
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次は「馬場都都古和氣神社(ばばつつこわけじんじゃ)」へ。

この神社の由緒は古い。

馬場都都古和氣神社は第12代景行天皇の御代、
日本武尊が奥羽鎮撫の際に都都古和氣神(味耜高彦根命・アヂスキタカヒコネノミコト)を
地主神として都々古山(白河市の通称建鉾山)に鉾を立てたのが始まりとされる。
その後、大同2(807)年坂上田村麻呂が現在の棚倉城址に社殿を造営、
日本武尊を相殿に配祀した。
さらに寛永2(1625)年、丹羽長重が棚倉城建築のため現在地に遷座させた。
~Wikipedia


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白河口の戦いで総督を務めた会津藩家老西郷頼母が、
明治8(1875)年から3年間ほどこの神社の宮司を務めているのだ。
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「八重の桜」で西郷頼母を演じた西田敏行のところはちゃんとマークされていた。
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ここは「陸奥国一宮」を称するが、
実は棚倉町にもうひとつある「八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)」も
「陸奥国一宮神社」を称しており、その経緯は不明のようだ。

宇都宮市と日光市の二荒山神社がそれぞれ「下野国一宮」を称している状況と類似している。
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雨が降り出した。
このころは一日のなかでも天気が変わりやすい不安定な日が続いていた。
あわてて引き返す。
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さて、ここでの3年間、西郷頼母はどんな思いで過ごしたのだろうか。
西郷家は代々家老職として会津松平家に仕え、頼母で9代目となる名家であったが、
幕末の動乱で頼母の人生も激変する。

1862(文久2)年、いわゆる文久の改革において藩主松平容保が京都守護職を拝命する。
当時の京は、尊皇攘夷運動が渦巻いており、これを鎮圧する京都守護職を引き受けることは、
尊攘派の恨みを買い、政争に巻き込まれる危険性をおおいに孕んでいた。

そのため頼母は京都守護職の拝命を断るべきだと主張したが、
会津藩藩祖保科正之から伝わる『家訓』
(一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。)
に縛られた容保は徳川家への忠誠心からこの職を受ける。

これにより頼母は国元での蟄居を命じられ、家老職も解任される。

戊辰戦争が勃発し、蟄居を解かれ家老に復職する。
当初は頼母をはじめ多くの家臣が新政府への恭順を示す意向であったが、
藩主容保親子の斬首と引き替えという要求は到底受け入れられず、
抗戦を決意。

そして西郷頼母は白河口の戦いで総督を務めることになる。
この戦いの激戦地となったのが稲荷山だ。ここには頼母の歌碑がある。

結局、この白河口の戦いで頼母らは惨敗。
これを足がかりに新政府軍は一気に会津へと攻め込むことになる。

会津鶴ヶ城に戻った頼母は再び恭順を説くが、受け入れられず、城を追われるが、
頼母が入城する前に頼母の母や妻子、一族21人が自害しており、
このことも会津戦争の悲劇として伝えられている。

頼母は、会津を離れたあと箱館で榎本武揚や土方歳三と合流し、奮戦している。
その後、捕縛され、明治5年に赦免。

以後、明治8年に前述の通り馬場都都古和氣神社の宮司となる。

そして、明治13年松平容保が日光東照宮となると西郷頼母は禰宜となり、
ここでかつて仕えた藩主と再会を果たしているのだ。
このあたりがなんともドラマチックだが、
この東照宮での2人の逸話というのがあまり伝わっていないように思う。
史料がないのだろうか。

そして、頼母は明治36年、74歳で会津若松で亡くなっている。

ちなみに「姿三四郎」のモデルとなったのは西郷四郎は頼母の養子志田四郎である。

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以前に馬場都都古和氣神社を訪れたことのあるカミさんからは
「ちゃんとムシ除けしていきなさいよっ!」と
アドバイスを受けていたのだが、ムシしたら、見事4ヶ所も刺されてしまった。

カミさんのアドバイスはちゃんと聞くもんだね。。。



蓮家寺
福島県東白川郡棚倉町棚倉新町129


馬場都都古和氣神社
福島県東白川郡棚倉町棚倉馬場39


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八重の桜を旅する⑪ 移動パネル展~白河市立図書館

白河市立図書館で「八重の桜」の移動パネル展をやっていると聞いたので、早速行ってみる。
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小さなコーナーではあったが、あらすじや相関図なのが掲示されていた。
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そして、出演者のサインが並んでいた。
会津の名物「起きあがり小法師」に綾瀬はるかと西島秀俊のサインがされている。
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色紙にも。
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こっちは綾野剛と長谷川博己だ。
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もう白河でのパネル展は終わってしまっている。
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さてと、このあとはじぇいくさんと待ち合わせている。
何でも職場のばるべにーファンを連れてきてくれるそうだ。

どんな方が来てくれるのか楽しみだな。




白河市立図書館
白河市道場小路96−5
0248-23-3250




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八重の桜を旅する⑩ 八重と覚馬が白河にやってくる!

白河の桜がすでに満開を迎えた。
先週末がいちばん見頃だったようだ。。。

早朝に駆け足で桜の名所を見て回る。

★南湖公園&南湖神社(楽翁桜)
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★松雲寺のしだれ桜
久田野まで行ってみたが、
こちらの桜はこのあたりでは最も早く満開になるらしく、
もうすっかり葉桜になっていた。
でも、手前の芝桜が綺麗だ。
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★妙関寺(乙姫桜)
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やっぱりいいね、乙姫桜は・・・
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乙姫桜のそばにも戊辰戦争で亡くなった方の供養塔がある。
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★妙徳寺(源清桜)
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20日、21日に小峰城でさくらまつりが開かれるようだが、今年は咲き始めがはやかったそうで、
週末にはもう桜が散ってしまうのではないかな。
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こっちはiPhoneで撮った写真。

私が愛用してるコンデジにまったく引けを取らないなぁ。
むしろ、iPhoneの方がいいくらいじゃないか。

こりゃデジカメが売れなくなるわけだよ。。。

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 NHK大河ドラマ「八重の桜」で主人公・新島八重役を演じる綾瀬はるかさんが20日、白河市で植樹やトークショーを行う。
 綾瀬さんらは、同市の南湖公園で開かれる独立行政法人森林総合研究所が開発、県に贈った新しい八重桜「はるか」の記念植樹に出席。この後、白河市民会館でトークショーを行う。八重の兄・覚馬役の西島秀俊さんも参加する。「はるか」を国内外に届ける「fukushimaさくらプロジェクト」の一環。この桜は昨年、綾瀬さんが名付け親となり、「はるか」と命名した。
 トークショー観覧は無料で整理券が必要。定員は1300人。観覧希望者は往復はがきで白河市郭内1の2、白河市観光物産協会に申し込む。12日必着。

~福島民友新聞4/11


なにっ!
八重と覚馬が明日白河にやってくるのか!!!

うぉー万難を排して白河に帰りたいところだが、仕事で無理なのだ。
残念。無念。


どなたか綾瀬はるかさんに
「大河ドラマいつも楽しみに観ています。がんばってください」と
ばるべにーからのメッセージをお伝えください(笑)



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八重の桜を旅する⑨ 【女石・白河藩大名家墓所】

次は女石へ移動。

会津街道と仙台街道の分岐点であるこの地を拠点に東軍は小峰城奪還作戦を展開していた。

いまの国道4号線女石の交差点近くの脇道に「遊女志げ之墓」はひっそりとある。
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遊女しげとは何者か。

越後三条生まれのしげは白河の妓楼坂田屋の遊女であった。
白河口の戦いの際に、西軍の長州藩士世良修蔵(奥羽鎮撫総督府下参謀)がしげをひいきにしていた。
あるとき、世良は危険が迫っていると察知し、世良は白河の地を去る。

しかし、「奥羽を皆敵と見て、武力をもって一挙に討伐する」と世良が書いた密書が露見し、
福島城下の金沢屋にいた世良は仙台藩士や福島藩士らに襲われ、その後阿武隈川で斬首されたのだ。
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そんな世良と情を結び、世良の白河逃亡を導いたとされたしげは、
会津藩士に殺されてしまうのだ。

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ところが、その会津藩士も坂田屋の下男によって仇討ちにあうというのだからすさまじい話だ。
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こちらは聯芳寺。
ここには「福島藩十四人碑」がある。
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近くには仙台藩士の碑もあったはずなのだが、場所がよくわからず断念した。
またの機会にしよう。





最後は、谷津田川を渡り、小南湖にある白河藩大名家墓所をたずねる。

歴代藩主の墓所は、八重の桜とは直接的には関係ないかも知れないが、
戊辰戦争で亡くなった二本松藩兵の碑が丹羽長重廟のそばに建立されているのだ。
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小南湖ってここにあったんだ。
白河にいるときにはいつでも来られるやと思って、
こちらの方まで足を伸ばしたことがなかったのだ。
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小南湖の横を抜けて森深くへと進んでいくと、
白河初代藩主丹羽長重公の御廟があらわれる。
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息子の丹羽光重の代に二本松藩に移封となり、光重は初代二本松藩主となっている。
その関係から、戊辰戦争で亡くなった二本松藩士の石碑がここに建っているのであろう。
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丹羽長重は、信長四天王のひとりとして活躍した丹羽長秀の子である。
長秀は、本能寺の変後の清洲会議にも参加し、秀吉支持を表明、賤ヶ岳の戦いでも功を上げている。

その息子である長重は、丹羽氏の勢力拡大を怖れた秀吉によって度々減封された。
そして関ヶ原の戦いでは西軍に与したため、戦後に一時改易されている。
ここから白河藩主にまで復活したのだからビックリだ!
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こちらは松平直矩・基知の墓所だ。
(前日の記事にある藩主一覧を参照してください)
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そして、小南湖の方へと戻り、少し離れた場所には松平清照の墓所がある。
清照は白河藩主松平忠弘の嫡男であったが、病弱で藩主にはなっていない。
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墓石がひとつ倒れていた。
おそらく震災によるものだろうな・・・
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小南湖周辺ははじめて訪ねたが、墓所に相応しい凜とした空気が漂い、
厳粛な空間であった。

市長は白河の歴史をもっと掘り起こそうと頑張っているらしく、
この歴代藩主の墓所一帯も今後もっと整備されていくであろう。



遊女志げの墓 白河市女石

聯芳寺    白河市向寺

白河藩主墓所 白河市円明寺






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八重の桜を旅する⑧ 【小峰城・鎮護神山@白河】

長女のみそたんめん。
予想通り、食べきれず1/3が私に回って来た。

ここで別添えにしたにんにくの出番というわけだ(笑)

茶釜食堂を出て、いったん自宅に帰る。
娘とカミさんはとっととどこかへ行ってしまう。

私はちゃんとオーラルケアをしたのち、長男と歴史散策へと出直す。


まずは白河駅。
いつ見てもこの駅舎は美しい。
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そして、小峰城へ。

小峰城は、南北朝時代の1340年に結城親朝が小峰ヶ岡に築城したのがはじまりとされ、
徳川家光の時代にあたる1632年に初代藩主丹羽長重が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城である。

その後、譜代・親藩7家21代の大名が小峰城に居城した。
いまでも市街地のあちこちに残るクランク状の道路は、
まさに白河が城下町であった名残である。

しかし、これだけ大名家が変わっているので、
上杉や前田、島津のような外様大名の領地に見受けられる
いわゆる「お殿様文化」のようなものは白河からは感じられない。


■丹羽家 外様 10万石 (1627年~1643年)
長重(ながしげ)〔従三位・加賀守、参議〕
光重(みつしげ)〔従四位下・左京大夫、侍従〕

■松平〔榊原〕家 譜代 14万石 (1643年~1649年)
忠次(ただつぐ)〔従四位下・式部大輔、侍従〕

■本多家 譜代 12万石 (1649年~1681年)  
忠義(ただよし)〔従五位下・能登守〕
忠平(ただひら)〔従四位下・能登守〕

■松平〔奥平〕家 親藩 15万石 (1681年~1692年)
忠弘(ただひろ)〔従四位下・下総守、侍従〕

■松平〔越前〕家 親藩 15万石 (1692年~1741年)
直矩(なおのり)〔従四位下・大和守、侍従〕
基知(もとちか)〔従四位下・大和守、侍従〕
義知(よしちか)〔従四位下・大和守、侍従〕

■松平〔久松〕家 親藩 11万石 (1741年~1823年)
定賢(さだよし)〔従四位下・越中守〕
定邦(さだくに)〔従四位下・越中守〕
定信(さだのぶ)〔従四位下・越中守、左少将 老中首座〕
定永(さだなが)〔従四位下・越中守〕

■阿部家 譜代 10万石 (1823年~1866年、1868年)
正権(まさのり)〔官位官職なし〕
正篤(まさあつ)〔従五位下・飛騨守〕
正瞭(まさあきら)〔従五位下・能登守〕
正備(まさかた)〔従五位下・能登守〕
正定(まささだ)〔官位官職なし〕
正耆(まさひさ)〔従四位下・播磨守、侍従〕
正外(まさと)〔従四位下・豊後守、侍従 老中〕
正静(まさきよ)〔従五位下・美作守〕


さてさて、「八重の桜」でこれから登場してくる戊辰戦争(1868)のときには
小峰城はどうなっていたのだろうか。

このとき藩主阿部正静は棚倉藩に移封となっており、
小峰城は藩主不在の空き城だった。

新政府指揮のもと二本松藩兵が一時駐留していたが、
会津藩が占拠し、1868年閏4月22日に斎藤一ら新撰組130人、
26日には白河口総督会津藩家老西郷頼母・副総督横山主税らが会津藩兵が入城した。

東軍(旧幕府軍)約2500人に対し、西軍(新政府軍)は700人ほどと言われるが、
5月1日に西軍の猛攻撃を受け小峰城は落城。

落城後も7月末まで白河では戦闘状態が続き、
東軍927人、西軍113人の戦死者が出たとされている。

東軍は、奥州の玄関口である白河小峰城が陥落し、
白河口の戦いに敗れたことによって大きなショックを受けた。

この敗戦によってその後の戦局の行く末が結したと言っても過言ではない。

この白河口の戦いでほとんどを焼失した小峰城は、
約120年の時を経て1991(平成3)年に三重櫓、
1994(平成6)年に前御門が江戸時代の絵図に基づき忠実に木造で復元された。
そして、2010(平成22)年にはその歴史的な重要性が評価され、国指定史跡となった。


白河のシンボルとして愛される小峰城だが、東日本大震災では大きな被害を受けた。
石垣崩落などのためフェンスで囲まれ、本丸への立ち入りはいまなおできない。
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歴代藩主も草葉の陰で心配しているに違いない。
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小峰シロも心配しているだろう。~小峰シロ公式サイト
komine shiro


なんとも痛々しい姿だ。
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復旧工事もはじまり、元の美しい小峰城の姿に戻るまでもうしばらくの辛抱だ。
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白河集古苑は残念ながらお休みで入れず。。。
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まだまだ雪が残る那須岳を望みながら小峰城をあとにする。
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小峰城の東側にある鎮護神山に行く。
ここには戊辰戦争で亡くなった薩摩藩の戦死者の墓がある。
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各地(三春町・いわき平・白河の長寿院白河市松並)に埋葬されていたものを
1915(大正4)年、鎮護神山に合葬したのである。
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この碑の文字は松方正義によるものらしい。
松方正義は薩摩藩出身で2度首相の座についている。
首相としてのキャリアよりも
大蔵大臣としておこなった「松方財政」・「松方デフレ」・「日本銀行設立」の方が有名だろう。
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石碑の下には戦死者の名前が書かれている。
右から4人目にある「武川直枝」とは元新撰組隊士清原清のことで、
新撰組も含む東軍との戦闘で稲荷山において戦死した。
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うーむ、今日は食べ物ネタ一切なしで真剣に書いてしまったぞ。

というのも最近、白河市まちづくり推進課のみなさんが
このブログを愛読してくださっていると人づてに伺ったので、
「こりゃ変なことは書けないぞ」といつも以上に気合いを入れたのだ(笑)


歴史好きの長男は嫌な顔ひとつせずついてきてくれるので楽しい。
まだまだ巡るぞぉー

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八重の桜を旅する⑦ 【四八天丼@高幡不動】

3月11日。

午前中で仕事が終わったので、帰り道に高幡不動に寄ることにする。

やはり、この日だけはどこかで静かに祈りの時間を持ちたいのだ。
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高幡不動は真言宗智山派のお寺で、
「八重の桜」と関わりのあるお寺でもあるので、今年は高幡不動にしたのだ。
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いつもモノレールから遠く眺めていたが、はじめてやってきた。
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本堂に入り、手を合わせたのち、境内を散策する。



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多摩軍日野宿石田村で生まれた土方歳三の菩提寺でもある高幡不動には、
土方歳三の銅像が建つ。
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そのとなりには近藤勇と土方歳三の顕彰碑も建てられている。
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土方歳三は宇都宮での戦いで負傷したのち会津へ送られる。
会津で約3ヶ月静養し快復。
会津を守るべく、母成峠の戦いで奮戦するも、敗戦。
その後、新撰組は分裂し、土方は箱館で戦死するのである。
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お寺の目の前にある、高幡不動まんじゅうのお店に入る。
よくみると、八重の桜のポスターが店頭に貼られている。
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試食をさせてもらいながら、まんじゅうや最中を購入。

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さてと。
お昼ご飯はどうしようかなぁー


開運そばも惹かれたが、その向かいのお店が気になる。
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四八天丼だ。
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看板メニューの480円、四八天丼に揚げ玉子をトッピングする。
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お味噌汁付きだ。
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海老、いか、穴子、カボチャ、オクラが入っている。
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そして、トッピングの揚げ玉子。
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よく見たら、このお店、向かいの開運そばの支店らしい。
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3.11 いい時間が過ごせたかな。


四八天丼
日野市高幡3
042-592-4061




続きを読む

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八重の桜を旅する⑥ 【円明寺橋&月の家@白河】

最後は円明寺橋を回って帰る。
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5月1日の戦いで敗れた東軍兵士は斬首され、谷津田川に投げ捨てられたそうだ。
川は血で染まり「血染めの川」とよばれたらしい。
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このあたりも道路の拡張工事をしている。
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円明寺橋のちかくには、東軍兵士を弔った「南無阿弥陀仏碑」が建てられている。
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谷津田川沿いを抜け、「月の家」に行く。
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ここのバラチャーシューを久々にいただこう!
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続きを読む

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八重の桜を旅する⑤ 【脇本陣柳屋跡&たさぶろう@白河】

次に目指したのは「脇本陣柳屋跡」だ。
地図を片手に本町通りをマイタウン方面に向かって歩く。

おぉ、たさぶろうだ!
帰りにおにぎりも買って帰ろっと♪♪
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金子書店の建物も時代を感じるが、
2階の窓って本を開いたデザインになっているのかな。
お洒落だ。
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白河の街はぷらぷらとただなんとなく歩いているだけで、
思わぬ史跡にぶつかる。
内国勧業博覧会は明治時代に内務省が殖産興業政策の一環で開いたもので、
臥雲辰致の「ガラ紡」が賞をとったことで有名だ。
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「勧工場建物跡」の看板はにこにこ屋の方にかけられていたが、
左隣のせともの店の建物も趣がある。
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目指す脇本陣柳屋跡がみつからず、一旦マイタウンまで行ってしまった。
おかしいと思い、もう一度引き返すと・・・


あった、あった!
この格子戸の向こうのようだ。
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通り沿いには何の表示もない。
開けていいものかためらったが、おそるおそる中へ。
ガラガラガラ。
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入るとすぐ右側に「脇本陣柳屋」の「案内板」があるではないか。
ほっとする。
この脇本陣柳屋には白河口の戦いの際に、
斎藤一隊長が率いる新撰組106名が宿泊しているのだ!
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明治14(1881)年、東北巡幸での明治天皇がこの柳屋に宿泊されている。
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突き当たりを右に折れると、脇本陣柳屋の蔵が残されているのだ。
ここにも八重のポスターが貼られていて盛り上げているんだね♪
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残念ながら、この格子戸は開かず、中を見ることはできない。
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格子の隙間にデジカメを差し込み、パチリ☆
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通りに戻る。
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脇本陣柳屋の反対側には「白河宿本陣芳賀家跡」の案内板がある。
「本陣」には大名・公家・幕府役人などが宿泊し、これを補ったのが「脇本陣」である。
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白河県立病院・白河医術講義所跡
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予告通り、たさぶろうでおにぎりゲット!
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たさぶろうのおにぎりも山田パンのフレンチトーストももうちょっと待っててね。

もう1カ所、寄ってくよ~


おむすび たさぶろう
白河市本町13
0248-21-6555



03

05

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八重の桜を旅する④【長寿院&山田パン@白河】

大谷忠吉本店をあとにし、すぐお隣にある「長寿院」へ足を運んでみようと思う。
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蔵の横を抜けていく。
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ここには戊辰戦争の西軍戦死者の墓地があるのだ。
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ここには長州藩18基30名・土佐藩18基18名・大垣藩3基13名・佐土原藩19基19名・館林藩3基12名の墓がある。
薩摩藩27名の墓もかつてはあったようだが、1915(大正4)年に小峰城跡の鎮護神山に改装されたそうだ。
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土佐藩辻精馬の墓。辻精馬の上に「官軍」「土藩」と刻まれているのがわかる。
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こちらは大垣藩だ。
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「長藩」すなわち長州藩の野村傳源頼睦の墓。
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「慶応戊辰殉国者墳墓」の向かいには「白河役陣亡諸士碑」が立てられている。
西軍兵士を弔い讃えた石碑である。
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碑の「捐躬報国」という文字は戊辰戦争では東征大総督に就いていた
有栖川宮熾仁親王によるもの。
有栖川宮熾仁親王といえば、悲恋の主人公として描かれることが多い人物でもある。
親王が17歳の時に孝明天皇の妹である和宮と婚約したが、
その後の政治情勢の変化によって、和宮は将軍家茂と政略結婚させられることになり、
有栖川宮熾仁親王と和宮との婚約は破談とされたのだ。
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本堂は新しくなったばかりのようだ。
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山田パンにも立ち寄る。
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山田パンだと「フレンチトースト」が食べたくなる。
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フレンチトーストと酪王牛乳を買った♪♪
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もうちょっと本町通りを散策だ。




長寿院
白河市本町北裏30


山田パン
白河市本町55
0248-27-3330




02

07

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「八重の桜」を旅する③ 【皇徳寺 新撰組隊士菊地央の墓】

コーヒー飲んであったまったが、せっかく楽蔵まで来たので、
もう1カ所寄ってから帰ろうと思う。

酒菜屋梅宮があった場所はすっかり取り壊され、道路拡張工事が進んでいるようだ。
この通りをメイン会場でおこなった2009年の「大昭和祭り」(←クリック☆)が懐かしいなぁ~
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大工町の皇徳寺へ。
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白河口の戦いで戦死した新撰組隊士菊地央(きくち たのむ)の墓がここにはあるのだ。
沖田総司も白河藩ゆかりの人物だし、
白河にも新撰組ネタがいろいろあるんだよね。
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ちなみに菊地央はこの方↓
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合掌。
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ついでといったら怒られるが、
ばるべにーとしては小原庄助さんのお墓もきちんと墓参せねばなりません。。。
♪小原庄助さん、なんで身上つぶした?
   朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした、
     あ~もっともだぁ、もっともだぁ♪
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戒名が「米汁呑了信士」。
辞世の句は
「朝によし昼なおよし晩によし飯前飯後その間もよし」
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徳利と猪口をかたどったお墓が素敵すぎる☆
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菊地央の墓に来たのに、
結局小原庄助メインの記事になってしまった(笑)




皇徳寺
白河市大工町 83
0248-24-1036




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ばるべにー

Author:ばるべにー
「ばるべにー酒店」に並べたい日本酒
※思い出したら追加していきます

福島:登龍(白河)
   奈良萬(喜多方)
   会津娘(会津若松)
   風が吹く(会津美里)
   天明(会津坂下)
   開當男山(田島)
   大七(二本松)
   一歩己(古殿)
東北:豊盃(青森)
   陸奥八仙(青森)
   洌(山形)
   上喜元(山形)
関東:松の寿(栃木)
   鳳凰美田(栃木)
   辻善兵衛(栃木)
   仙禽(栃木)
   屋守(東京)
   鏡山(埼玉)
   花陽浴(埼玉)
   来福(茨城)
中部:佐久乃花(長野)
   十九(長野)
   臥龍梅(静岡)
   房島屋(岐阜)
   小左衛門(岐阜)
   而今(三重)
   三重錦(三重)
北陸:白岳仙(福井)
   早瀬浦(福井)
近畿:篠峰(奈良)
   風の森(奈良)
中国:賀茂金秀(広島)
   美和桜(広島)
   貴(山口)
   雁木(山口)
   東洋美人(山口)
九州:鍋島(佐賀)
   天吹(佐賀)
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