Bar White River 白河と石神井をこよなく愛する呑んだくれ・喰いだおれの日記
「大信州」の蔵元と長いお付き合いのある「たか田」で「大信州」の新酒を飲みまくりぃ~!

私のまわりには大信州ファンが多いんだよね。
以前、贈り物でいただいた「大信州 大吟醸 以和為貴(和を以て貴しと為す)」
あれも旨かったよなぁ~
和食 たか田
府中市寿町2丁目3−1 レールサイド寿 1F
042-366-4199

私のまわりには大信州ファンが多いんだよね。
以前、贈り物でいただいた「大信州 大吟醸 以和為貴(和を以て貴しと為す)」
あれも旨かったよなぁ~
和食 たか田
府中市寿町2丁目3−1 レールサイド寿 1F
042-366-4199
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旧鎌倉街道ウォーキングのお次は、ドリンキング。
「和食 たか田」へ。

超達人のお店なので、プレモルがさらにプレミアムに。

こちらは大信州の蔵と懇意にされているそうだ。
あとでいただこう!


1杯目は「七田」(佐賀)のおりがらみから。

うゎっ! たしかに「大信州」のスペックが揃っている!

和らぎ水も「大信州」の仕込み水だもの。
これは嬉しいね。

こちらのお店はご兄弟でされていて、
お兄さんが日本酒担当のようだ。
「大信州 超辛口 純米吟醸」



「天青」(神奈川)

お兄さんオススメの「栂の森」。
これは大信州の蔵が醸す限定酒だ。2200本っていったかなぁ。
栂池高原スキー場の上に運んでいって氷雪貯蔵したものらしい。
旨し。

金華ハムの玉子とじ

メバル

「英君」(静岡)

「雪の茅舎」(秋田)

最後はじゅんさい。

お料理もお酒も、そしてお店の雰囲気もすばらしい!
いいお店に出会えて幸せな気分で帰路につくのであった。
和食 たか田
府中市寿町2丁目3−1 レールサイド寿 1F
042-366-4199
「和食 たか田」へ。

超達人のお店なので、プレモルがさらにプレミアムに。

こちらは大信州の蔵と懇意にされているそうだ。
あとでいただこう!


1杯目は「七田」(佐賀)のおりがらみから。

うゎっ! たしかに「大信州」のスペックが揃っている!

和らぎ水も「大信州」の仕込み水だもの。
これは嬉しいね。

こちらのお店はご兄弟でされていて、
お兄さんが日本酒担当のようだ。
「大信州 超辛口 純米吟醸」



「天青」(神奈川)

お兄さんオススメの「栂の森」。
これは大信州の蔵が醸す限定酒だ。2200本っていったかなぁ。
栂池高原スキー場の上に運んでいって氷雪貯蔵したものらしい。
旨し。

金華ハムの玉子とじ

メバル

「英君」(静岡)

「雪の茅舎」(秋田)

最後はじゅんさい。

お料理もお酒も、そしてお店の雰囲気もすばらしい!
いいお店に出会えて幸せな気分で帰路につくのであった。
和食 たか田
府中市寿町2丁目3−1 レールサイド寿 1F
042-366-4199
この日は夜から府中で一杯やる予定だ。
なので、多摩市から府中市に向けて鎌倉街道を歩くことにした。
鎌倉街道は鎌倉時代に各地の御家人が「いざ鎌倉」として鎌倉に向かうルートであり、
上道・中道・下道などが知られている。
今回、私が歩くルートは、上道の一部で、
新田義貞が鎌倉幕府攻略のために進軍したルートでもある。
進軍とは逆のルートで府中へ向かうことになる。
熊野橋からの乞田川

現在の鎌倉街道を横断し、熊野神社の前を通り、旧鎌倉街道へ。

そして、さっそく小山商店で小休止。

飲みたい酒だらけで困ってしまう。。。

お世話になっている方々に夏酒を贈る。
ブルーハワイはその名の通り青い色をした日本酒だ。
ブログ的にオモロイから「あの方」へ送った。

リスタート!

関戸古戦場跡
新田義貞軍と北条泰家(14代執権北条高時の弟)がこのあたりで激突したのが「関戸の戦い」だ。

この戦いで北条泰家の軍勢は敗れ、泰家は命からがら鎌倉に逃げのびるが、
そのとき新田勢を最後まで食い止めたのが、家臣の横溝八郎や安保入道父子である。
彼らは関戸で討たれており、墓所もこの近くにあるが、そこまでは足を伸ばさなかった。

結局、この関戸の戦いで勝敗の行方は決し、6日後の1333年5月22日に鎌倉幕府は滅亡した。
聖蹟桜ヶ丘周辺に出て、旧道は鎌倉街道にぶつかる。

そして、関戸橋を通り、多摩川を渡る。

橋の向こう側にはキューピーマヨネーズの大きな工場が見える。
あの中にはどれだけのマヨネーズがあるのだろう???
タンクに飛び込んでみたい(笑)

京王線の橋梁が見える。

多摩川を渡ると中河原駅周辺だ。

おっ! 天下一品だ!!!
食べなくても見ただけでこってりした気分になり元気がわいてくる



中河原駅から旧鎌倉街道に入り、しばらく歩くと今度は「分倍河原古戦場碑」が出てくる。

前述の「関戸の戦い」の前に繰り広げられたのが、「分倍河原の戦い」である。
この戦い、一時は幕府軍が奮戦し、新田軍を狭山周辺まで後退させたが、
その後の奇襲攻撃によって幕府軍は敗退、関戸へ退却することになった。

石碑の揮毫は新田義美(にった よしてる)。
昭和初期の華族・男爵である。

古戦場跡をあとにしてすぐに「分梅」と書かれたこのような石碑が建っている。

石碑には次のように「分梅」の地名の由来が説明されている。
分梅(ぶばい)は、現在の分梅町ニ・三・四・五丁目の一部(鎌倉街道=分梅通り沿い)に集落の中心があった村落です。この集落は本町に属しており、新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)には「本町」の小名としてその名が見えます。分梅はもとハケ上の上分梅(八雲神社辺り)に集落の中心がありましたが、多摩川の流れが南に移ったあと分倍河原に進出したといわれています。古くは「分倍(陪)」や「分配」の字があてられ、「ぶんばい」と呼ばれていたこともありますが、近世以降には「分梅」が多用されています。
地名の起こりは不明ですが、この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田を倍に給した所であったという説があります。
ぶばいには「分梅」、「分梅」、「分配」などの字があてられたようだが、
現在の町名は「分梅」。
でも駅名は「分倍河原」なんだよね。
おもしろい。
それより、「分倍」が倍の口分田を班給したところから来ているという説は興味深い。
そういう意味では京王線沿線には律令制を思わせる駅名が実に多いのだ。
国領・布田・調布・飛田給など・・・
こちらはJR南武線分倍河原駅前にある新田義貞像。

なかなか勇ましい。

高安寺。
このお寺の開基は足利尊氏。
高安寺の「高」は足利高氏(尊氏)の「高」からとっているそうだ。
しかし、それより以前からこの地には寺があったようで、
分倍河原の合戦時には新田義貞がここに本陣を構えている。

さぁ、まもなくゴールだ。
その直前に下河原線の廃線跡を発見!
かつて多摩川の砂利を運ぶために明治43年に敷設された貨物路線で、
昭和になってからは東京競馬場への旅客輸送もおこなっていたようだ。

当時の線路遺構が一部残されている。

いまはきれいな遊歩道になっている。

ゴール!

そう、ゴールは旭湯だ。

風呂上がりの一杯♪

鎌倉時代に思いを馳せての歴史散策。
銭湯に入ってからの風呂上がりビール。
楽しすぎる2時間のウォーキングであった。
さてと。
さっぱりしたことだし、飲みに行きますかね。
小山商店
多摩市関戸5丁目15−17
042-375-7026
旭湯
府中市宮西町3丁目6−2
042-361-9362
なので、多摩市から府中市に向けて鎌倉街道を歩くことにした。
鎌倉街道は鎌倉時代に各地の御家人が「いざ鎌倉」として鎌倉に向かうルートであり、
上道・中道・下道などが知られている。
今回、私が歩くルートは、上道の一部で、
新田義貞が鎌倉幕府攻略のために進軍したルートでもある。
進軍とは逆のルートで府中へ向かうことになる。
熊野橋からの乞田川

現在の鎌倉街道を横断し、熊野神社の前を通り、旧鎌倉街道へ。

そして、さっそく小山商店で小休止。

飲みたい酒だらけで困ってしまう。。。

お世話になっている方々に夏酒を贈る。
ブルーハワイはその名の通り青い色をした日本酒だ。
ブログ的にオモロイから「あの方」へ送った。

リスタート!

関戸古戦場跡
新田義貞軍と北条泰家(14代執権北条高時の弟)がこのあたりで激突したのが「関戸の戦い」だ。

この戦いで北条泰家の軍勢は敗れ、泰家は命からがら鎌倉に逃げのびるが、
そのとき新田勢を最後まで食い止めたのが、家臣の横溝八郎や安保入道父子である。
彼らは関戸で討たれており、墓所もこの近くにあるが、そこまでは足を伸ばさなかった。

結局、この関戸の戦いで勝敗の行方は決し、6日後の1333年5月22日に鎌倉幕府は滅亡した。
聖蹟桜ヶ丘周辺に出て、旧道は鎌倉街道にぶつかる。

そして、関戸橋を通り、多摩川を渡る。

橋の向こう側にはキューピーマヨネーズの大きな工場が見える。
あの中にはどれだけのマヨネーズがあるのだろう???
タンクに飛び込んでみたい(笑)

京王線の橋梁が見える。

多摩川を渡ると中河原駅周辺だ。

おっ! 天下一品だ!!!
食べなくても見ただけでこってりした気分になり元気がわいてくる




中河原駅から旧鎌倉街道に入り、しばらく歩くと今度は「分倍河原古戦場碑」が出てくる。

前述の「関戸の戦い」の前に繰り広げられたのが、「分倍河原の戦い」である。
この戦い、一時は幕府軍が奮戦し、新田軍を狭山周辺まで後退させたが、
その後の奇襲攻撃によって幕府軍は敗退、関戸へ退却することになった。

石碑の揮毫は新田義美(にった よしてる)。
昭和初期の華族・男爵である。

古戦場跡をあとにしてすぐに「分梅」と書かれたこのような石碑が建っている。

石碑には次のように「分梅」の地名の由来が説明されている。
分梅(ぶばい)は、現在の分梅町ニ・三・四・五丁目の一部(鎌倉街道=分梅通り沿い)に集落の中心があった村落です。この集落は本町に属しており、新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)には「本町」の小名としてその名が見えます。分梅はもとハケ上の上分梅(八雲神社辺り)に集落の中心がありましたが、多摩川の流れが南に移ったあと分倍河原に進出したといわれています。古くは「分倍(陪)」や「分配」の字があてられ、「ぶんばい」と呼ばれていたこともありますが、近世以降には「分梅」が多用されています。
地名の起こりは不明ですが、この地がしばしば多摩川の氾濫や土壌の関係から収穫が少ないために、口分田を倍に給した所であったという説があります。
ぶばいには「分梅」、「分梅」、「分配」などの字があてられたようだが、
現在の町名は「分梅」。
でも駅名は「分倍河原」なんだよね。
おもしろい。
それより、「分倍」が倍の口分田を班給したところから来ているという説は興味深い。
そういう意味では京王線沿線には律令制を思わせる駅名が実に多いのだ。
国領・布田・調布・飛田給など・・・
こちらはJR南武線分倍河原駅前にある新田義貞像。

なかなか勇ましい。

高安寺。
このお寺の開基は足利尊氏。
高安寺の「高」は足利高氏(尊氏)の「高」からとっているそうだ。
しかし、それより以前からこの地には寺があったようで、
分倍河原の合戦時には新田義貞がここに本陣を構えている。

さぁ、まもなくゴールだ。
その直前に下河原線の廃線跡を発見!
かつて多摩川の砂利を運ぶために明治43年に敷設された貨物路線で、
昭和になってからは東京競馬場への旅客輸送もおこなっていたようだ。

当時の線路遺構が一部残されている。

いまはきれいな遊歩道になっている。

ゴール!

そう、ゴールは旭湯だ。

風呂上がりの一杯♪

鎌倉時代に思いを馳せての歴史散策。
銭湯に入ってからの風呂上がりビール。
楽しすぎる2時間のウォーキングであった。
さてと。
さっぱりしたことだし、飲みに行きますかね。
小山商店
多摩市関戸5丁目15−17
042-375-7026
旭湯
府中市宮西町3丁目6−2
042-361-9362
ゴールデンウィーク その2!!!
この日は家族4人で東京競馬場へ。

武蔵野線をつかうと石神井から意外と近い府中。
去年、熊夫さん夫妻と来て以来だな。

着いた早々のレース。
パドックでよく見えた馬から買ったら、見事的中。
さい先のいいスタートだ。

しかし、この日は馬券を買いに来たのがメインの目的ではないのだ。
馬場内へ移動する。

メガグルメフェスティバルが開かれていて、
この週はクラフトビールが集まるビアフェスが開催中だったのだ。

サンクトガーレン、舞浜地ビール、ブリマーブルーイング、田沢湖ビール、
T.Y.HARBOR BREWERY、富士桜高原麦酒などが集結。

レースを楽しみながら、クラフトビールが楽しめるなんて、最高の企画ではないか。








なんだ、このポテト!? 長っ!

台湾まぜそば、ケバブ、中津からあげ、ポテトなどを食べながら青空の下、
クラフトビールを堪能する。



内馬場にいるので、レースもよく見えない。
だからビールの方ばかりどんどんはかどってしまい、だんだんいい気持ちに。
そうなるとレースの予想は適当になっていく。。。
結局、この日の天皇賞(春)。
私もかみさんも撃沈。
あーあー・・・・・・
肩をがっくり落としていたら、昨晩父から頼まれた馬券が当たっているではないか!
おいおい、これは結構な払い戻しになるぞぉ。
なんだかんだ父は勝負の勘がいつもいい。
きっと石神井に帰ったら「おまえは買い方がヘタクソだ」とか言いながらドヤ顔してくるんだろうな(笑)
私たちの馬券は残念だったけど、長男、次男は内馬場の公園で楽しそうだったし、
この季節の競馬場は気持ちいいな。
ときどき来たいな☆
東京競馬場
府中市 日吉町1
042-363-3141
この日は家族4人で東京競馬場へ。

武蔵野線をつかうと石神井から意外と近い府中。
去年、熊夫さん夫妻と来て以来だな。

着いた早々のレース。
パドックでよく見えた馬から買ったら、見事的中。
さい先のいいスタートだ。

しかし、この日は馬券を買いに来たのがメインの目的ではないのだ。
馬場内へ移動する。

メガグルメフェスティバルが開かれていて、
この週はクラフトビールが集まるビアフェスが開催中だったのだ。

サンクトガーレン、舞浜地ビール、ブリマーブルーイング、田沢湖ビール、
T.Y.HARBOR BREWERY、富士桜高原麦酒などが集結。

レースを楽しみながら、クラフトビールが楽しめるなんて、最高の企画ではないか。








なんだ、このポテト!? 長っ!

台湾まぜそば、ケバブ、中津からあげ、ポテトなどを食べながら青空の下、
クラフトビールを堪能する。



内馬場にいるので、レースもよく見えない。
だからビールの方ばかりどんどんはかどってしまい、だんだんいい気持ちに。
そうなるとレースの予想は適当になっていく。。。
結局、この日の天皇賞(春)。
私もかみさんも撃沈。
あーあー・・・・・・
肩をがっくり落としていたら、昨晩父から頼まれた馬券が当たっているではないか!
おいおい、これは結構な払い戻しになるぞぉ。
なんだかんだ父は勝負の勘がいつもいい。
きっと石神井に帰ったら「おまえは買い方がヘタクソだ」とか言いながらドヤ顔してくるんだろうな(笑)
私たちの馬券は残念だったけど、長男、次男は内馬場の公園で楽しそうだったし、
この季節の競馬場は気持ちいいな。
ときどき来たいな☆
東京競馬場
府中市 日吉町1
042-363-3141
20年ぶりくらいの「府中」になるだろうか。
この間、福島競馬場や京都競馬場には行っていたが、
東京競馬場からは足が遠ざかっていた。
どんな話しの流れだったか忘れたが、
熊夫さんと「競馬場でビール飲みましょう!」みたいなことになって、
またしても熊夫さん夫妻とカミさんと、
さらには次男坊も連れて府中へ行くことになったのだ!
石神井公園からだと秋津・新秋津経由で府中本町へ向かう。
1時間もかからずに競馬場到着。
結構近く感じる。

あいにく小雨がぽつぽつする曇天模様だが、
午後に向かって天候は回復する予報だ。

安田記念、オークス、ダービーといった東京での春のGⅠは終わっていて、
この日のメーンは「ユニコーンステークス」(GⅢ)。
地味な重賞がメーンなうえに、このすっきりしない天気なので、
場内はかなり空いている。
(それを狙って来たのだが・・・)

パドックそばの売店でさっそく昼ビー。
府中はサントリー工場のお膝元。
今年で工場は50周年だ。

「今日は、がっぽり稼いで豪勢に飲みに行くぞー!」と馬に負けず鼻息が荒い面々(笑)





さらに験担ぎで串カツ!


次第に晴れ間が出てきたぞ。

競馬場で飲むビールって3割増しに馬イネ!
でも、なかなかお財布の中味は3割増しにならない・・・。

しかも買い食いがとまらないから出ていく一方・・・
大きなチキン唐揚げもがぶついちゃう♪

そして、メーンのユニコーンステークスのゴールシーン。

収支報告。
4人でくまくまさんだけが黒字。
あとはみんなマイナス。。。
荒い鼻息は、むなしい嘆息へと変わっていた。
私も2レース当たっておきながらマイナスというのは買い方が悪すぎるのだ。
さてと反省会へと向かおうか。
むしろ我々のメインレースは「反省会」なのだ(笑)
東京競馬場
府中市日吉町1
042-363-3141
この間、福島競馬場や京都競馬場には行っていたが、
東京競馬場からは足が遠ざかっていた。
どんな話しの流れだったか忘れたが、
熊夫さんと「競馬場でビール飲みましょう!」みたいなことになって、
またしても熊夫さん夫妻とカミさんと、
さらには次男坊も連れて府中へ行くことになったのだ!
石神井公園からだと秋津・新秋津経由で府中本町へ向かう。
1時間もかからずに競馬場到着。
結構近く感じる。

あいにく小雨がぽつぽつする曇天模様だが、
午後に向かって天候は回復する予報だ。

安田記念、オークス、ダービーといった東京での春のGⅠは終わっていて、
この日のメーンは「ユニコーンステークス」(GⅢ)。
地味な重賞がメーンなうえに、このすっきりしない天気なので、
場内はかなり空いている。
(それを狙って来たのだが・・・)

パドックそばの売店でさっそく昼ビー。
府中はサントリー工場のお膝元。
今年で工場は50周年だ。

「今日は、がっぽり稼いで豪勢に飲みに行くぞー!」と馬に負けず鼻息が荒い面々(笑)





さらに験担ぎで串カツ!


次第に晴れ間が出てきたぞ。

競馬場で飲むビールって3割増しに馬イネ!
でも、なかなかお財布の中味は3割増しにならない・・・。

しかも買い食いがとまらないから出ていく一方・・・
大きなチキン唐揚げもがぶついちゃう♪

そして、メーンのユニコーンステークスのゴールシーン。

収支報告。
4人でくまくまさんだけが黒字。
あとはみんなマイナス。。。
荒い鼻息は、むなしい嘆息へと変わっていた。
私も2レース当たっておきながらマイナスというのは買い方が悪すぎるのだ。
さてと反省会へと向かおうか。
むしろ我々のメインレースは「反省会」なのだ(笑)
東京競馬場
府中市日吉町1
042-363-3141